危険不可視社会 東京大学名誉教授 畑村洋太郎

2010年4月5日第1刷

 

本書を読んで、私が関心を抱いたのは次の3つです。一つ目は、司法は責任追及が主で、原因究明はサブ、という視点があること。

この部分を読んで個人的には、司法制度の役割からしたら当然と言えば当然だが、原因究明は司法がやってくれるわけではない。だとすれば、原因究明のために事故が起きた時の事実関係を共有することは必要であるが、他方で責任追及される側の立場からするとそれは隠したい心理が働く。その折り合いをどのようにつけながら社会のシステムや制度を設計するかという問題は意外と難しい。ちなみにアメリカでは業務上過失致死罪という犯罪類型がないらしく、事故が起きても警察が調べてくれるわけでもなく、被害者が自分で調べないといけないらしい。このことは日本の方が進んでいるように思う。が、アメリカの職能集団は高い倫理意識を持っているらしく、自主的な倫理基準を作成しているらしい。日本ではそのような自主的な倫理基準は高圧ガスのメンテナンス位しかないらしく、技術者の倫理感をどう高めていくかが日本の課題であるという趣旨の指摘はなるほどと唸った。

二つ目はメンテナンス。機械のメンテナンスの話が中心である。

この部分を読んで、生身の人間のメンテナンスこそ重視されなければならないとつくづく痛感した。

三つ目は既存不適格問題とレベルの違う機械の混在問題。建物で主に論じられる既存不適格問題というのは、結局、安全とコストを秤にかけて、安全を捨てることなので、既存不適格問題をそのまま放置することを許容している社会の問題であると指摘する。またレベルの違う機械の混在問題というのはエアバスボーイングの安全思想に違いがあることを例に挙げて、最後に機械の判断を優先するのがエアバスで、人間の判断を優先するのがボーイングであるため、両方の旅客機は別々のパイロットが操縦しているらしい。そうでないと、普段操縦している旅客機と別の旅客機の安全思想が違っていた場合は大惨事につながってしまうから、と。確かにアナログとデジタルの混在。またデジタルの中でも化石のようなデジタルとどんどん加速化するデジタルとでは別物として扱う必要があるだろう。でも、これって常に現在進行形で起きている問題であって、そういう視点で物事を見るっていう機会自体がとても少ないと思う。著者は東京の地下鉄の水没事故を憂慮しているが、確かにそういう目で色んな危険を早めに察知して過去の叡智を集めて工夫し対策を取っていくことって本当に大事。現実に目に見えるものや見えないもの、更に歴史に目をやって過去に見てきたもの、それでもまだ見えないもの等々、そこにも想像を張り巡らせて色々考えて工夫していくって、本当に沢山あるし、大事。

これを読んで、政治家にはブレーンが改めて必要と痛感します。シンクタンクだけでなく、人々の叡智をどうやって集めていくのか、どういう制度が日本に適しているのか、これからも考えて行かなければならない。別に私は政治家ではないが、だんだん政治に関心が生じつつある昨今です。