山﨑豊子全集1  暖簾

 

2003 年 12 月 25 日発行

 『暖簾』初出は 1957 年 4 月。大阪の古い商家に生まれた筆者が、現代と過去の大阪商人をドキュメンタリーの要素の上にたるフィクションとして描かれている。明治 29 年 3 月、淡路島からたった 35 銭を握りしめて大阪に出た吾平が、大阪商人として、明治、大正、昭和にわたって生きた生涯と、戦後、合理精神を身につけて新しい型の大阪商人として生きようとする吾平の来、孝平の半生を描き出したものである(附録:井上靖)。
 大阪に出てきた吾平に声をかけた浪花屋(昆布屋)の旦那は自分の先祖も淡路出身であったことから吾平の賢そうな目つきを見て、きっとよく働くだろうと思って、吾平を浪花屋の丁稚奉公として働かせる。当初はランプの火屋掃除ばかりやらされるが、昆布を艶を映えるようにするために火屋掃除も商いの一つと思って懸命に仕事に当たる。その仕事ぶりを旦那が認めて雑役から解放されて店に出されるようになる。昆布の削り方の見習い、7 年丁稚をした後に 22 歳で手代に。天皇陛下に献上する昆布を作り上げるまでに腕を磨いた吾平。2年後番頭になり昆布の仕入れを任されるようになる。27 歳で暖簾分けしてもらい、旦那から教えられた「何事も堪忍」の精神で必死に働き、旦那の言う通り、別家して 3 年は夜通ししてでも働くもんや、家賃と米代と税金滞らすような者は一人前の商人にはならへんとの教えを守り、百貨店でも商品を出すまでに。8 年間は順調だったが、大正 12 年9月 1 日の関東大震災で積荷を焼いてしまい、再起を期すために北海道にすぐにわたり再び再興する。ところが昭和 9 年 9 月 21 日水害で借金を背負って立てた工場やら仕入れた昆布が水浸しに。金策がつきかけた所に、融資を断れれた銀行の支店長を再度訪ね、暖簾を抵当に差し出すと申し入れて何とか苦境を脱出する。ところが日華事変が拡大してきた昭和 14 年冬から統制経済のために思うような商売ができなくなり、空襲で店を焼いて失う。ここまでが第 1部。
 第 2 部は、吾平の息子孝平が帰還した昭和 21 年から始まる。吾平は泉大津に引っ込み隠居生活に入っていた。孝平は堺の闇市で昆布を仕入れ神戸で売る仕事を始める。父吾平と暖簾がなくても商売は出来ると口論になる。そんな中、吾平は昆布の鑑定をしながら昆布の上に仰臥して死んでいった。孝平は浪花屋を地の利を得た日本橋に開店させ「浪花屋」の暖簾を張る。一日 16 時間働き、加工場を建て、大学時代の同窓生から大都デパートの 1 階 100 坪で大阪老舗街を設けて 18 軒の老舗暖簾を張り巡らせて成功を収める。そして遂に東京渋谷の東急百貨店に進出し大阪の高級牛肉と同じ値段の最上級塩昆布が大当たり。時に失敗もあったが、戦後 10 年目で父の代のままの浪花屋復興を決意し、再び浪花屋の暖簾を掲げる。暖簾は商人の心の拠りどころ。しかしこれに安易に持たれてしまえば没落する。暖簾の信用と重みによって人の出来ない苦労も出来、人の出来ない立派なことも出来た人間だけが暖簾を活かせる。経済の中心が東京に移ってしまった今、何百年の暖簾の下に商いをしてきた大阪商人の力で大阪の財力を取り戻して見せる、こうごちて、この物語は終わる。