三好達治詩集 谷川俊太郎編

昭和40年9月30日初版発行 昭和53年3月15日13刷発行

 

編者後記によると、

 三好さんが、殆ど片思想いともみまがう烈しさで敬愛してやまなかった萩原朔太郎、その人に於ける「虚無」、それと等価の何かをたしかに三好さんも若年の頃から感じとっておられたし、その詩も、文章もやはりその何かを中心にすえて書かれていると、私は理解している。

 その何かを、萩原流に虚無と云ってしまうことは、もちろん私にははばかられるし、またそれを虚無と断じてしまっても、それは「何か」であることをやめはしないのだが、瞬間でありながら永遠であるもの、全く無用でありながら、私たちの生の不思議にじかに結びついているもの、明暗に等しく内在する微光、その「何か」をこそ三好さんは詩の、ポエジイの根元に置いていた

と考える。

・・そこに描写されているどんな小さな生命も、事物も世界という有機体の互いに照応しあっている構造の一片として画かれていて、その上に無限に透けて見える世界そのものの大きさと等しいひろがり、それが三好さんの詩の大きさなのである。

 

 昨日(8月23日)は三好達治さんの誕生日。

 

 郷愁

 

 蝶のやうな私の郷愁!…。蝶はいくつか籬を越え、午後の街角に海を見る…。私は壁に海を聴く…。私は本を閉ぢる。私は壁に凭れる。隣りの部屋で二時が打つ。「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。―海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」

 

仏蘭西語で、「海」はmer、「母」はmereなので、確かにフランス人の言葉には、「母」の中に「海」があるのですね。日本語だと反対に「海」の中に「母」があるので、とても興味深いことだと思います。

 

 土

 

蟻が

蝶の羽をひいて行く

ああ

ヨットのやうだ

 

有名な詩です。三好達治さんの詩だったんですね。冒頭の編者の後記と重ね合わせて読むと、単純な詩でありながら、とても深い詩であるように、改めて味わい方が違ってきます。

 

 

師よ 萩原朔太郎

 

幽愁の鬱塊

懐疑と厭世との 思索と彷徨との

 あなたのあの懐かしい人格は

 なま温かい溶岩のやうな

 不思議な音楽そのままの不朽の擬晶体―

 ああ灰色の誰人の手にも捉へるすべのない影

 ああげに あなたはその影のやうに瓢々として

 いつもうらぶれた淋しい裏町の小路をゆかれる

 あなたは・・・

 

 そしてあなたはこの聖代に実に地上に存在した無二の詩人

 かけがへのない 二人目のない唯一最上の詩人でした

 あなたばかりが人生を ただそのままにまっ直ぐに混ぜものなしに歌ひ上げる

 作文屋どもの掛け値のない そのままの値段で歌ひ上げる

 不思議な言葉を 不思議な技術を 不思議な智慧をもってゐた

 あなたは詩語のコンパスで あなたの航海地図の上に

 精密な 貴重な 生彩ある人生の最近似値を 我らのアメリカ大陸に発見した

 あなたこそまさしく詩界のコロンブス

 あなたの前で喰せ物の口の達者な木偶どもが

 お弟子を集めて横行する (これが世間といふものだ

 文人墨客 蚤の市 出性の知れた奴はない)

 黒いリボンに飾られた 先夜はあなたの写真の前で

 しばらく涙が流れたが

 思ふあなたの人生は 夜天をつたふ星のやうに

 単純に 率直に

 高く 遥かに

 燦燦として

 われらの頭上を飛び過ぎた

 師よ

 誰があなたの孤独を嘆くか

 

 萩原朔太郎の詩をきちんと改めて読んでみたいと思う。