世界を変えた100のスピーチ上(ソクラテスからエリザベス二世まで) コリン・ソルター 大間知知子訳

2020年9月30日初版第1刷発行

 

帯封「人々の魂をゆさぶった言葉の力 力強いメッセージは人々の胸を打ち、聴衆を鼓舞し、ときに世界を動かすことがある。リンカーンマーク・トウェイン、ガンディー、チャーチル昭和天皇、エリザベス二世らの名演説を歴史的背景、写真とともに紹介する。」「教養人として知っておきたい、歴史を動かした演説を精選 エリザベス一世『この身に宿る心と気概は王のものだ』 パトリック・ヘンリー『私に自由を、さもなくば死を与えたまえ!』 エイブラハム・リンカーンゲティスバーグ演説』 マーク・トウェイン『女性に投票権を』 エメリン・パンクハースト『自由か死か』 ウィストン・チャーチル『血と労苦と涙と汗』ほか」

表紙裏「ジョージ・ワシントンエイブラハム・リンカーンマーク・トウェインウィンストン・チャーチル、マハトマ・ガンディー、フランクリン・D・ルーズベルト昭和天皇、エリザベス二世など、ある時代の『顔』というべき人物たちによる、聴く者を奮い立たせるようなスピーチを収録。困難に挑戦し、社会通念を打ち破り、歴史の流れを変えた、感動的で考えさせられるスピーチのコレクションである。」

 

001[前399年頃]ソクラテス 「私は自分が何も知らないと知っている」

002[前326年頃]アレクサンドロス大王 ヒュダスペス河畔の演説

 「諸君一人ひとりが望むかぎりの富と権力をはるかに超えるものを授けよう」

003[前63年]キケロ― 「おお、何という時代、何という世にわれわれは生きているのか!」

004[31年頃]イエス・キリスト 山上の垂訓

005[1305年]ウィリアム・ウォレス 「私はイングランド人を殺した」1305年8月23日

006[1588年]エリザベス一世 「この身に宿る心と気概は王のものだ」1588年8月9日

007[1649年]チャールズ一世 処刑台での演説

 「余は朽ちやすい王座を離れ、決して朽ちることのない王座への赴く」1649年1月30日

008[1755年]パトリック・ヘンリー 「私に自由を、さもなくば死を与えたまえ!」1755年3月23日

009[1789年]ウィリアム・ウィルバーフォース 奴隷制廃止を訴える演説

 「不正に根差し、このようなやり方で続けられてきた貿易は、廃止しなければなりません」

1789年5月12日

010[1794年]マクシミリアン・ロベスピエール 恐怖政治の正当性を訴える演説

 「人民は理性によって、人民の敵は恐怖によって導かなければならない」1794年2月5日

011[1796年]ジョージ・ワシントン 告別の辞

 「ひとりの年老いた愛情深い友人からの助言」1796年9月19日

012[1829年アンドリュー・ジャクソン 「インディアン移住法」に関する議会演説

 「人口と文明の波は西部に向かっている」1829年12月8日

013[1851年]ソジャーナ・トゥルース 「私は女ではないのか?」1851年5月29日

 白人相手に訴訟を起こして勝訴した初の黒人女性

014[1852年]フレデリック・ダグラス 「アメリカの奴隷によって7月4日とは何だろうか?」1852年7月5日

015[1860年]トマス・ヘンリ・ハクスリー オックスフォード進化論争

 「哀れなサルを祖先に持つのと、天賦の才に恵まれて、大きな影響力もありながら、真剣な科学論争をいたずらに冷やかすためにその能力を用いる人間を祖先にもつのと、どちらがいいかと聞かれたら、私は迷わずサルを選びます」

016[1861年]アレクサンダー・スティーブンス アメリカ連合国を正当化するコーナーストーン演説1861年3月21日

017[1863年エイブラハム・リンカーン ゲティスバーグ演説1863年11月19日

018[1865年]エイブラハム・リンカーン 第2回大統領就任演説1865年3月4日

019[1877年]チーフ・ジョセフ 降伏の演説 「太陽が指し示すこの瞬間から、私はもうこれ以上永遠に戦わない」1877年10月5日

020[1895年]オスカー・ワイルド 「あえてその名を語らぬ愛」1895年5月1日

021[1901年]マーク・トウェイン 女性に参政権を 1901年2月20日

022[1913年]エメリン・パンクハースト 「自由か死か」1913年11月13日

023[1915年]パトリック・ピアース 「自由のないアイルランドに平和はない」1915年8月1日

024[1917年]ウラジミール・レーニン 「ソビエトに権力を」1917年9月

025[1918年]ウッドロー・ウィルソン 14か条の平和原則1918年1月8日

026[1931年]マハトマ・ガンディー 「スピリチュアル・メッセージ」1931年10月17日

027[1933年]アドルフ・ヒトラー ドイツ首相就任後初の演説 1933年2月10日

028[1933年]フランクリン・D・ルーズベルト 「われわれが唯 一恐れなければならないのは、恐れそのものである」1933年3月4日

029[1936年]エドワード八世 退位演説 1936年12月11日

 ウォリス・シンプソンと結婚するために退位して、弟がジョージ六世として即位。

 王統を継いだジョージ六世の娘のエリザベス二世とその息子チャールズ三世だが、その息子ヘンリー王子は離婚歴がある混血の女性を選んでも受け入れられた。時代は変わる。

030[1938年]ネヴィル・チェンバレン 「われらの時代の平和」1938年9月30日

031[1939年]ルー・ゲーリック 「世界で一番幸せな男」引退演説1939年7月4日

032[1939年]アドルフ・ヒトラー オーバーザルルベルク演説1939年8月22日

 「冷酷であれ。無慈悲であれ。他の奴らより迅速かつ獰猛に行動せよ。ヨーロッパ市民は恐怖に怯えなければならない。それがもっとも人道的な戦争のやり方だ。そうすれば他の者どもは恐怖で逃げ去るだろうから」

033[1939年]ジョージ六世 ドイツへの宣戦布告 1939年9月3日 『英国王のスピーチ

034[1939年]チャールズ・リンドバーグ 第二次世界大戦に対するアメリカの中立を求める演説 1939年10月13日 「民主主義的な政治の原則にとって、これ以上大きな試練はかつてなかった」

035[1940年]ウィルストン・チャーチル 「私が差し出せるものは、血と労苦と涙と汗の他にありません。私はこの危機的な時期に、すべての人の助力を求め、『そあ、ここへ来て、ともに力を合わせて前進しよう』と言う資格があると考えます」1940年5月13日

036[1940年]ウィルストン・チャーチル 「われわれは最後まで戦い続けます。われわれはフランスで戦い、海で、大洋で戦います。ますます高まる自信と強さをもって、空で戦います。いかなる犠牲を払おうと、この島国を守り抜きます。われわれは海岸で戦います。上陸地点で戦います。平原でも街でも戦い、丘陵でも戦います。われわれは決して降伏しません」1940年6月4日

037[1940年]ウィルストン・チャーチル 「これが彼らのもっとも誉れ高きときだ」1940年6月18日

038[1940年]シャルル・ド・ゴール 「フランスの抵抗の炎は消えてはならず、決して消えることはないだろう」1940年6月18日の演説

039[1941年]ヴャチェスラフ・モロトフ ナチによるソビエト侵攻を受けてのラジオ演説1941年6月22日

040[1941年]フランクリン・D・ルーズベルト 「この日は不名誉な一日として記憶されるだろう」1941年12月8日

041[1944年]ドワイト・D・アイゼンハワー 連合国のフランス上陸を宣言する放送1944年6月6日

042[1946年]昭和天皇 人間宣言1946年1月1日

043[1946年]ウィルストン・チャーチル 「鉄のカーテンが降ろされた」1946年5月5日

044[1946年]アルベルト・シュペーア ニュルンベルク裁判証言1946年8月31日

045[1947年]ジャワハルラール・ネール 「運命との約束」1947年8月14日

「時計が真夜中のときを告げ、世界が眠りにつくとき、インドは目覚めて生命と自由を得る」

046[1948年]ダヴィド・ベン=グリオン イスラエル独立宣言1948年5月14日

047[1948年]アナイリン・ベヴァン 国民保健サービスの施行にあたっての演説1948年7月4日

048[1949年]毛沢東主席 「中国人民は立ち上がった!」1949年9月21日

049[1951年]エバ・ペロン デスカサミドスへの演説1951年10月17日

 「私はいつも私の愛するデスカミサドス(シャツを着ない人々)を信じてきました」アルゼンチン大統領の妻

050[1953年]エリザベス二世 戴冠演説1953年6月2日

 「私の経験は浅く、私の務めは未知である」

 

意外と知らないものが結構ありました。勉強になります。