人類の進歩につくした人々 吉田甲子太郎(その2)

昭和31年9月20日発行

 

民主主義の父・リンカーンーエブラハム・リンカーン

 南北に分断しかねない危急存亡の時に大統領に就任したリンカーンは、7人の閣僚のうち共和党から3人、後の4人は反対党の民主党から選んでいる。しかも共和党から出た閣僚はリンカーンの競争相手でリンカーンに良い感情を持ってない人ばかり。なぜそのような人事をしたのか。国務長官シュワードはハーヴァード大学法律学教授も務め共和党随一の人物。大蔵省長官チェース共和党の中心人物。陸軍省長官には民主党のスタントンを起用。しかし、小学校さえ満足に終えておらずすべて独学でやってきたリンカーンには実生活から汲み取った深い智慧と世間の荒波をくぐってきた人だけが持つ、もののうらを見ぬく力と独力で世の中を渡ってきた人間に独特な意志の強さとが、沈着な人柄と一つに結びついて大政治家の資格を持っていることに皆気づくようになる。個人的な感情は脇において真に適材適所で人を配置し皆の議論に静かに耳を傾けて最後に決断を下すリンカーンの決断は一つ一つリンカーンが立派な見識と並々ならぬ判断力をもっていることを証明し皆リンカーンの偉さを認めるようになる。

 外交官モトリーリンカーン評は「かれは、アメリカ民主主義の正真正銘の典型だ。さもしいお上品ぶりや、自分だけそのつもりの紳士らしさなど、みじんもない。かれこそ、アメリカの人民そのものだ、-正直で、ぬけめがなく、あけはなしで、かしこく、ユーモアがあって、快活で、また勇敢で、ときどきやりそこなうけれど、そのやりそこないをつうじて、なおいっそう、正しいと信ずるものに向かって努力しつつ突き進んで行く、あのアメリカ人民そのものなのだ」。

 リンカーンが22歳の時、イリノイ州からニューオリンズに行って南部のドレイの状態を直に目で見た。以来、ドレイ制度が許されない悪だと彼の魂の声は叫んでいた。しかし彼は奴隷制度の拡張には反対だと言い、ドレイ制度に反対とは言わなった。それは政治家として合衆国の統一を、ドレイ問題の解決よりも大切だと考えていたからだった。統一がなくなったらドレイ問題の解決もなくなると考えていたからだった。そんな中、メリーランド州北軍が初めて勝利を収めた時こそ長い間続けていた辛抱を捨ててもよい好機到来と、大統領名でドレイ解放を宣言する決心をする。この宣言はアメリカ国内よりもヨーロッパの進歩的な思想を奉じている人々に支持され、イギリスのマンチェスターの労働者達から送られてきたリンカーンへの励ましの言葉が綴られた手紙に繋がり、リンカーンはグラント将軍を得て、遂に南軍のリー将軍が4月9日力尽きて降伏するが、その直後の4月14日にワシントン市の劇場で芝居見物中に暗殺される。そして最後はあの有名なゲッティスバーグの演説で締めくくられている。