自由と規律 -イギリスの学校生活- 池田潔

1949年11月5日第1刷発行 1963年6月20日第25刷改版発行 2000年6月23日第84刷発行

 

表紙裏「ケンブリッジ、オックスフォードの両大学は、英国型紳士修業と結びついて世界的に有名だが、あまり知られていないその前過程のパブリック・スクールこそ、イギリス人の性格形成に基本的な重要性をもっている。若き日をそこに学んだ著者は、自由の精神が厳格な規律の中で見事に育くまれてゆく教育システムを、体験を通して興味深く描く。」

 

冒頭に小泉信三の序、次にまえがき、本文は、

パブリック・スクールの本質と起源、

その制度、

その生活

(一)寮、(二)校長、(三)ハウスマスターと教員、(四)学課、(五)運動競技、

スポーツマンシップということ、

で構成されている。

著者自身が第一次大戦後、リース校に3年、ケンブリッヂに5年、合わせて8年の教育をイギリスで受け、その経験をもとに、体験したものでなければ書けない迫真性のある記述になっている(特に寮の生活について、食事は質量ともに贅沢の正反対。朝はオートミール少量、燻製鰊又はソーセージ一本。日曜の卵1個は最大の御馳走。三寸角のパン二切れ、紅茶。昼は馬鈴薯を主とした肉少量の一皿、人参、キャベツの類少量がつくこともある。菓子一皿、パン一片。お茶はパン三片、マーガリン少量、紅茶。夜食は全くない。午後はスポーツ、夜の礼拝の後、自修。何の監督もなく黙って静かに勉強している。八時半に寮に帰る。日曜は全学生が講堂に集められて家郷に宛てた手紙を書かされる)。教職員会議がなく校長に絶大な権限が集中している。リース校の校長はもしこの世に神に近い人間があるとしたらそれは我々の校長ではないかと云った学生があるとの逸話を通し14,5歳の少年にこの言葉をいわしめたその人格が偲ばれる、と著者は述べている。

「ハウスマスターと教員」の内容は著者の個人的体験が綴られているが、大変勉強になる。

英文学の教師との約束で規定の学課には全部出る、午後の運動には必ず参加する、自修時間と夕方の自由時間は先生の特別授業を受けること、夜8時の点呼が終わったら先生の自宅で特別授業を続けることに決め、文字通りしごく。以下は引用。

LとRの区別、それにW音の矯正、湯殿から鏡を持ち出したり電燈の下に口を開かせてその太い指を突っ込んで舌を捻じ曲げたり、WOLF,WOLFと何十回か繰り返させ、気に入らないと椅子から立ち上って、そんな狼、何が恐いものかと、それは怒号に近かった。よく新聞に公告の出ている『涙なしに語学の上達する方法』とか『安楽椅子にもたれて覚えられる外国語の教授』そんなものが世の中にあると思ったら、とんでもない心得違いだぞ。語学なんてそんな生易しいものじゃないんだ。真っ赤な火の中に突っ込んで鉄床の上にのせて、こいつを鉄鎚でガンガン叩くんだ。ガンガン叩く。火花が散る。ジュ―ッと水につける。また叩く。叩いて叩いてまた叩くんだ。2,3年で忘れてしまうつもりなら外に方法もあるかも知れない。しかしほんとうにその語学を身につけるんだったら、地獄の火を通して叩かなければ駄目なんだ。そして、また、初めからLとR、狼、狼、狼だった。これが11時半まで続く。

一の教室に13,4歳から17,8歳までの学生が大小とりどりに雑居しており、三尺の収載に六尺の鈍才が教えを乞うている風景も見られる、Ⅳ以上の一教室の学生数は5,6名から15,6名まで、教師は学生個々につきすべてを知り尽くしており、それに応じて適切な指導を与えかつ欠点を矯正することができる、第Ⅵ学級は校長直接の指導を受ける、イギリスのパブリック・スクールでは試験に不正行為が全くない、その理由につき著者は優秀な成績は望むところであるが、そのために自己の良心を犠牲とすることを潔しとしない彼等の正義感の強さに帰してよいと思うと述べる。自由と放銃を区別するものは、これを裏付けする規律があるかないかによる、彼等は社会に出てから大らかな自由を享有する以前にまず規律を身につける訓練を与えられえる、彼等は自由は規律をともない、そして自由を保障するものが勇気であることを知る。

 イギリスのパブリック・スクールは、パブリックとあるが私立だ。著者は、パブリック・スクールについて「羨むべき伝統尊重の風習といい、あるいは度し難い封建思想の残滓と見るのは、要するに観点の相違」と指摘するが、ここにその特徴が端的に表現されている。