100分de名著 中井久夫スペシャル 「こころの医師」が遺した歓待の箴言知  最終講義 分裂病と人類 治療文化論 「昭和」を送る 戦争と平和 ある観察  斎藤環

2022年12月

 

表紙「病を治そうとするのではない、患者の心に寄り添うのだ。心のケアを第一に考えた精神医師は、多彩な著作を手掛けた優れた文筆家でもあった。現代の『心の病』を普遍的な社会・文化の問題として読みとく。」

 

はじめに 義と歓待と箴言知のひと

第1回 「心の生ぶ毛」を守り育てる ―『最終講義』 統合失調症研究の第一人者

    寛解過程論

     統合失調症の回復にはいくつかの段階があることを示し、特に急性期から回復期に移行する時期を発見して「臨界期(回復時臨界期)」と名付ける。統合失調症の経過を精密に明らかにした寛解過程論は画期的な研究として精神医学界から驚きをもって迎えられた。慢性化している時期をコンディション(状態)ではなく寛解の過程のほかならない、治る可能性があることを示した。

    心の生ぶ毛を大切にする治療

     患者の尊厳とともに治療で大切にすべきものとして強調しているのが、恥じらいやためらいといった、人の心の柔らかな部分。「ふるえるような、いたいたしいほどのやわらかさ」を全く感じない人は治療にたずさわるべきでしょうか、どうでしょうか。

     外界からの危険な信号をキャッチする機能をもった敏感なセンサー「アンテナ感覚」を持つことの重要性を指摘。

 

第2回 「病」は能力である ―『分裂病と人類』 「S親和者」とは何か

統合失調症の発症者は、世界の人口の1%前後と言われている。中井は「一定の割合の統合失調症は人類に必要なものである」と考える。

また『分裂病と人類』で、中井は、すべての人が統合失調症的な気質を持つこと、統合失調症は誰でもなり得る病であることを、該博な人文的知識を背景に、きわめて説得的に論じる。

さらに中井には『天才の精神病理 科学的創造の秘密』など、病跡学に関する著作や論文も多くある。突出した創造行為や行動の背景に病理が働いている可能性があるという考え方には“病気の復権”、つまり病気のポジティブな面に光を当てるという側面がある。統合失調症的気質をポジティブに評価した『分裂病と人類』は病跡学の視点から人類や人類史という広範なものをとらえ、理解した本と言えるかもしれない。

 

第3回 多層的な文化が「病」を包む -「治療文化論」 「個人症候群」という新たな概念

   中井が新たに提示した「個人症候群」という概念は、それまでにあった「普遍症候群」と「文化依存症候群」という二つの概念から派生する形で生まれた、病に関する第三の分類。

個人症候群はある個人にしか該当しない疾患なので、普遍性を志向する視点で捉えることが難しく、普遍症候群の網の目からこぼれ落ちてしまう病。

普遍症候群、文化依存症候群、個人症候群には、それぞれに対応する多様な治療文化がある。その形態を「非職業的治療文化」と「職業的治療文化」に分けて中井は紹介する。

 

第4回 精神科医が読み解く「昭和」と「戦争」 -「『昭和』を送る」「戦争と平和 ある観察」 経験から現代を語るエッセイ

中井は、戦争を「過程」、平和を「状態」ととらえる。

  戦争が「過程」であるのに対して平和は無際限に続く有為転変の「状態」である。だから、非常にわかりにくく、目にみえにくく、心に訴える力が弱い。

中井は、「人は平和よりも安全保障感を求める」という。

  「安全保障感」希求は平和維持のほうを選ぶと思われるであろうか。そうとは限らない。まさに「安全の脅威」こそ戦争準備を強力に訴えるスローガンである。

アインシュタインフロイトの往復書簡をまとめた『ひとはなぜ戦争をするのか』の中で、フロイトは、戦争を抑止するには人を殺すことに対する抵抗感を育む文化を持つ必要がある、と説いている。文化の力を借りて戦争を抑え込む。

 

 凄い人がいた。この本を読むまで中井久夫という人物を恥ずかしながら知らなかった。

 ネットで検索すると、中井さんには、「治療とはそれぞれのために心をこめて、そのひとだけの一品料理をつくろうとすることである」という言葉があるらしい。素晴らしい一言だと思う。