炎環 永井路子

2012年6月10日新装版第1刷

 

裏表紙「京の権力を前に圧迫され続けてきた東国に、ひとつの灯がともった。源頼朝の挙兵に始まるそれは、またたくうちに、関東の野をおおった。鎌倉幕府の成立、武士の台頭―その裏には彼らの死に物狂いの情熱と野望が激しく燃えさかっていた。鎌倉武士の生きざまを見事に浮き彫りにした傑作歴史小説直木賞受賞作。解説・進藤純孝」

 

目次

悪禅師

黒雪賦

いもうと

覇樹

 

本書は、「悪禅師」では頼朝の弟・阿野全成を、「黒雪賦」では頼朝の寵臣・梶原景時を、「いもうと」では北条政子の妹・保子を主人公として描き、「覇樹」では頼朝を補佐し2代執権の座に就いた北条義時を追いかけながらその時代の様々な人物が描かれている。

阿野全成は頼朝の異母弟、源義経の同母兄だが、知名度はない。阿野全成は幼くして出家させられるが、頼朝挙兵に応じて馳せ参じる。政子の妹保子と結婚し、忠実な御家人として将軍家に仕えるが、保子が頼朝の嫡子千万の乳母となったことで、心密かに野望を抱く。しかし、そんな心を頼朝は恐らく見抜き、妻保子も薄々気づいていた。頼朝亡き後、千万の兄万寿が後を継いで頼家と名乗り、最大の実力者景時が討ち取られると、体の弱い頼家が倒れれば千万が将軍の座に就く時は近いと夢見ていた最中、頼家から本心を見透かされていたことに気付くが、もはや手遅れだった。常陸国流罪が決まるも、道中で白刃に倒れる。

梶原景時北条義時は鎌倉殿の13人で俄に有名人になった。梶原景時は、石橋山の戦いで、平家方の将にもかかわらす土肥実平と頼朝の命を救い、頼朝再挙すると、頼朝に重用され寵臣となる。誰も気づかないが景時は頼朝の意を汲み、頼朝が気に入らぬと感じる有力武将を次々と殺めていく。特に義経の首を検める場面の景時の言には景時の才気を感じる。黒漆に収められた首は酒漬けにされ、頼朝が説明を聞いていた途中でもうよいと言って終わりかと思いきや、景時は変わり果てた御首であるため九郎義経の御首でない可能性に言及し、それでも受け取る際のやり取りから間違いないことを確認したこと、問題は直ちに陸奥へ御旗を進める時であることを進言する。景時は一貫して武士の世を作るために頼朝を終生支え続けた。頼家に代替わりすると、景時を理解する器量がない頼家を支える気も失せ、叛旗を翻して散っていく。

北条保子は政子のいもうと、阿野全成の妻、3代将軍実朝の乳母である。普段は明るい性格で他愛もない噂話に花を咲かせる。ある意味では政子とは正反対の性格である。政子の娘の大姫は6歳の時、木曾義仲の長男義高と結婚。義高もまだ11歳。幼い大姫は義高が大好きだったが、頼朝が義仲を討ち取ると、将来の禍根を絶つべく、義高を殺害しようとし、政子は義高を逃がすが、結局、討ち取られしまう。何も知らない大姫は義高を探し求めるが、誰も本当のことを教えてくれない。そんな時、真実を告げたのが保子だった。その後、大姫は、悲嘆に暮れ憔悴して死んでしまう。3代将軍実朝の乳母となった保子は、心に野心を秘め、それに気づいた政子だったが、全成の謀叛の時に保子をかばう。もともと保子を全成に嫁がせたのは政子だったが、その頃の権力は政子には無くなっていた。政子は頼家の遺児の善哉を実朝の猶子にするとともに、鶴岡八幡の別当尊院の門弟として頼家の供養をさせた。実朝が右大臣に任じられ鶴岡社頭で拝賀の礼を行うと、善哉が実朝を襲い殺害する。政子の弟、四郎義時が幕府の実権を握るが、すべてを覆い隠して政子から命令が出た形を取った。政子も保子も何も残されていなかったが、将軍の跡嗣を決めねばならず、頼朝の姉の血を引いている九条道家の2歳の三寅に決まり、保子は三寅の世話をした。

 権力の浮き沈みが特に激しかったと思われる鎌倉時代の前半について、これまで余り光の当てて来られなかった人物にスポットを当てて描いた小説として大変面白く読めた。それぞれのキャラが個別に立っていた一つの時代のまとまりを、著者が「炎環」という造語のタイトルでまとめたのも頷ける。