悪党の裔《下》 北方謙三

2021年5月20日発行

 

円心は播磨守護職を解かれ、佐用郡の地頭職のみ許された。帝の側近結城親光名和長年により大塔宮が捕縛された。高氏を改めた尊氏は正成と円心を見方につけたい。尊氏が尼崎の屋敷を訪ねて円心と会った。鎌倉を護る直義が北条時行に落とされれば、尊氏は軍勢を率いて東下する。その理由ができたことになる。円心は子の貞範が尊氏の麾下に加わることを許した。北条討伐に東下するにあたり征夷大将軍への任命を求めた尊氏だったが、勅許は下されず、尊氏は勅許ないまま進発した。ここが勝負どころだったが、朝廷は尊氏を征東将軍に任じ、その腰はすぐに砕けた。大塔宮の死が知らさせた。円心は正成と会いたがった(第9章 砕けし時)。

帰京勅命に尊氏は従わない。新田討伐の兵を挙げた。朝廷との争いを、新田と足利の争いに見せかけて武士同士の争いにすり替えた。朝廷は新田義貞に綸旨を与えた。正成は円心に会い、いやしい身分の自分が朝廷の要職につき、帝に縛られている己をむなしさが包むと語る。新田が尊氏に敗れて総崩れとなった。北畠顕家は足利軍と対峙した。円心は、武士ではない武将がいる、大塔宮と同じである、陸奥守とはそうした存在だと思った。尊氏は敗走した。尊氏には北畠顕家軍が天から降ってきたとしか思えなかった。僅かな手勢を連れて尊氏は天下取りの戦いを始めた、途上で会っておこうと思ったと言いながら、円心の出迎えを受けた。尊氏は円心に首を掻かれるなら自分はそれまでの男と覚悟していた。苦衷の最中にありながら尊氏は没収された土地を北条の与党に返すと決めて高師直に書面を作らせた姿を見て、円心は尊氏に舌を巻いた。その尊氏を凌いでみたいとも思った。周到さではなく常に棟梁たらんとする尊氏だからこそ没収地返付状のような発想も出てくるのではないかとも考えた。円心は尊氏に旗を持つことを説いた。光厳上皇から院宣を受ければよい、そうすれば新田と対抗できる錦旗を掲げることができる、この際、九州で兵を休ませ、軍勢を組織し直して再び上洛すればよいと助言した。尊氏に円心がつき、新田に正成がついた。2人とも敵であれば尊氏は生きていなかった。尊氏は持明院統光厳上皇院宣を受け取った。正成は思うように兵が集まらない新田義貞を誅罰し和睦すべしと帝に奏上した。円心は時を稼いで白旗城を完成させた(第10章 旗なき者)。

佐用郡の白旗城の周りを4万から5万の新田軍の軍勢が取り囲んだ。円心が籠っていた。六日経っても白旗城は落ちず、正成の千早城に似ていた。九州から上ってきた足利の東上は間近に迫っていた。ひと月だけ新田軍を白旗城に引きつければ、足利がやってくる。その最中に新田の本陣に円心は夜襲をかけて突っ込み斬り込んでいった。恐怖に駆られた表情の新田義貞の表情を一瞥すると、円心は引き返した。円心はついに新田の大軍を播磨から動かさなかった。正成が新田軍に加わった。円心は正成が死のうとしているのを感じた。正成は死に、足利尊氏は京に入った。尊氏は円心に京で再び会った。院宣を取り付ければ帝を擁立せねばならなくなる、大覚寺統は帝位を譲りはしない、一天両帝のために尊氏が今後苦しむのを見越していたのかと詰め寄る尊氏に対し円心は乱れて苦しむのは公家と武士だけで民草は強いと切り返すと、尊氏は叡山とやり合う決意を固めた。

 

確かに、絶望の正成を改めて描く北方謙三の作品も読んでみたくなった。