戦艦武蔵 吉村昭

昭和41年9月5日発行 昭和52年12月15日30刷

 

表紙裏「帝国海軍落日の賦 丹羽文雄 作者が長い時間をかけて克明に資料を漁り、造船された現地を訪れてまで情熱を傾けて書上げたこの作品は、造船史上初めての難事業とされた造船の過程や労苦を伝えたいためではない。作者がこれまでいくつか手がけて来た死への関心につながる巨艦の潰滅に心を捉えられたためであろう。仙境や敢えない終焉が饒舌を避け、感情を抑えた筆で綴られたことでかえって鮮烈に描き出され、戦争(人間の所業)の空しさを象徴的に浮かび上がらせている。」

裏表紙裏「後世につとうべき記録 阿川弘之 戦艦『大和』・『武蔵』は良き意味でも悪しき意味でも二十世紀の日本人がのこした二個のピラミッドである。其の戦闘記録はすでに幾つか公刊されているが、ピラミッドの歴史そのものについては、不思議なことに今まで誰も書く人がいなかった。本書は『武蔵』の懐妊、誕生から其の死までを、文学者の筆で誠実克明に追うたもので、必ず後世につとうべき立派な記録である。」

 

巨大戦艦「武蔵」の建設計画から、進水、戦歴、沈没に至るまでの数年間を描いた歴史文学。漁業で使う材料の棕櫚が突然姿を消した。日本で最も大きい主力戦艦「陸奥」の舷側甲鉄厚さ30㎝を超える40㎝以上もある甲鉄を舷側にはる戦艦とは何なのか。外から完全に遮断された環境下で造船作業が進められる方法を研究し、艦の全体の規模が分かる基本設計図と主要寸法は最高幹部数名が知るだけでそれ以外の者には部分部分の図面しか目に触れさせず、46センチ主砲が21メートルの世界最長の砲身を持つ世界艦船史上最大の威力をひめた戦艦。造船技師始め次々と誓約書を書かせて作業員が集められ何を作るのか知らされないまま過酷な強制労働に携わり、長崎市民は港を見ることすら許されなかった。進水式への列席予定者は30数名と限定され、砲の取り付けが行われ完成した戦艦が海軍に引き渡されると民間造船所の作業員は二度と艦に触れる機会がなかった。世界一の攻撃力に加え、最強の防御力を誇る不沈戦艦だったが、米軍機による第六次にわたる波状攻撃を受けて海の藻づくと化し海中で大爆発を起こした。全乗組員2,399名の内1,023名が戦死。武蔵と大和という巨艦不沈戦艦。重油の確保もままならず、護衛航空機をつけることができないまま出撃し壮絶な最期を迎えた。加藤副長が猪口艦長の手帳を取り出すと、・・本日の致命傷は魚雷命中にありたり・・とあった。

 

壮絶な無駄遣いである。時間も、資源も、何よりも最も尊きはずの人命も。