天と地と《中》 その1 海音寺潮五郎

令和元年10月

 

裏表紙「越中との戦いで討死した為景に代わり守護代となった長兄・晴景だが、凡庸な器量のためか、国内に争乱が続く。宇佐美定行の許で武将としての修業を続ける景虎は、幾多の合戦で勝利し武名を挙げ、次第に兄弟の仲は悪化する。兄との戦いに勝利した景虎は、天文十八(1549)年若干二十歳で長尾家当主となり、越後統一を実現する。」

 

定行は、晴景に断りなく戦いを始めて不快な思いをしている晴景を宥めるべく、自らも謝り景虎にも頭を下げさせた。俊景との戦いに勝つために定行は自ら作戦を立てていたが、部将たちが自らの頭でその作戦を立てるように導き布陣を引いた。戦上手の俊景だったが、冬のある日、風が終日やまないことを確認した景虎は、俊景が刈谷田川を越えて攻めようとすると、味方の軍を一歩も動かさず、俊景の軍が3分の1ほど川岸に上がるや、一斉に攻め立てた。寒中の川で体が凍り付いた俊景の軍と、体を温めていた景虎の軍とでは、勝負の行方は明らかだった。俊景は手勢に僅か12,3騎で逃れようとしたが、そこに小島弥太郎が現れ、見事に俊景を討ち取った。折しも般若心経の勅賜と勅使の下向は春日山長尾家の立場を有利にしたが、晴景は腰を上げない。景虎は晴景に直言しようと思い、定行の意見を求めたが、定行は景虎を嫉妬し恐れをなしている晴景に直言しても無駄であることを諫言した。先の戦いで武功を挙げた鉄上野介が景虎に、美しい藤紫の心は鬼か蛇のように恐ろしい女子の行状を伝えた。

 

景虎は那美と再会した。北蒲原郡新発田の城主柴田尾張守長敦の内室が美しい源三郎を横恋慕した。恋文が源三郎に届き有頂天となった。雲雨は頻繁となり噂が立った。長敦は弟掃部会に調べさせた。二人は殺された。晴景は寵愛する源三郎が殺されたために、掃部会を差し出せと使者を遣わした。長敦は使者に阿呆と焼き印を押して突き返した。景虎は長敦の味方をし、晴景との対立が決定的となった。

 

4年前に伝来した鉄砲を持参して定行が景虎を訪ねた。1梃5百両と高額だった。晴景は玄鬼を読んで景虎暗殺を指示した。忍び込んだ玄鬼を景虎は鉄砲で仕留めた。晴景が玄鬼のために認めた書付を読んで景虎は全身を怒りに震わせた。玄鬼と行動を共にするつもりだった加当は景虎に乗り換えようと、弥太郎を訪ねた。

 

弥太郎は加当を連れて景虎を訪ねたが、景虎は加当も鉄砲で仕留めた。書付を読んでいたので玄鬼と同じ穴の貉だと思っていたからだった。掃部介は柿崎景家景虎の味方につくよう説得した。景家は照田将監の首を手土産に景虎の下にはせ参じた。これにより三条方の戦力はガタ落ちとなった。定行は景虎に晴景との戦いの決断を迫った。