2014年12月10日発行
狼眼流左近
美しい妻を晒し者とし、救いたければ真剣勝負に応じるとの高札を掲げる人面狼之助。初戦は槍使いの浪人者。住職が立会い、あっという間に勝負がつく。住職は左近の剣を狼眼剣と称した。女はかつての主君の息女、千早と言った。立ち会った住職はかつての同僚で左近と勝負して負けて心照という僧になった男。狼を相手に3年修行に出た間に千早は男と同衾した。左近は密通男と対峙した。勝負はあっけなくついた。千早の罰が先の晒し者にすることだった。2人目、3人目も左近は片づけた。その戦いを見ていたのが文五郎である。邪剣と眼光を同時に突く左近の腕を持つと見切った文五郎は左近の両眼を横一文字に斬った。失明した左近は以来、丹波霞之助と名のり、霞流の居合術をもって世にうたわれることになる。
大峰ノ善鬼
伊東一刀斎景久の皆伝は一人だけに許された。一番弟子大峰ノ善鬼と弟弟子・神子上典膳が決闘することになった。善鬼は師の生命を狙っていた。師であろうと、善鬼は鵜の毛で突いたほどの隙が生じても、それを見過さず、許さなかった。決闘まで12時間。善鬼は母子に男女の契りを強請した。途中で息子をはねのけて己が代わり、息子の首を刎ねた。典膳は勝敗を6分4分、6分の勝目を敵に視ていた。ただ技を超えた、運が味方することを知っていた。後家が一刀斎により数年ぶりに女体に火をつけられ、燃え狂わせた姿を見送った瞬間、典膳のからだから、おこりが落ちるように男の本能が消えた。典膳が中太刀を長剣に代えて現れた。一軒家の中での決闘となった。一人息子を善鬼に斬られ、善鬼に犯した母親が気が狂った中で小刀同士の戦いとなった。典膳が勝ち、一刀斎は皆伝一巻と甕割刀を置いて姿を消していた。
刃士丹後(じんしたんご)
刃士は、細川忠興から宝山谷三村を与えられた。美しい娘を妻とした。ところが、この里は癩病患者の里だった。それと知った丹後は妻を斬り、里の者を次々と斬った。相手は全て忍者だった。宝山谷を脱出し長い時間が経過した。丹後は主君に復讐するために7人の藩士を殺害した後、姿を消した。再び主君の前に姿を現した時、主君の男根を切り落とした。百余の忍者が丹後に殺到し、丹後は自らの首を刎ねた。「刃の字は、忍の下から心をとり去った意味に相違ない」を読んで、宮城谷昌光さんが柴田錬三郎さんの作品をとりわけ好んだということを思い出した。確かに文体といい漢字の用い方といい、似ている感じがする。ただ文章のリズム・勢いは柴田さんに少々軍配が上がるか。