昭和58年10月5日1版1刷 昭和60年3月20日1版3刷
①安積中学から早大の文科へ
②横光を知り文学開眼
③山の温泉場で知った女性
④妻をたずさえ「津中」へ
⑤学校騒動、教師が煽動
⑥小編三つ、早稲田文学に載る
⑦成田中学で中野好夫と文学を語る
⑧またも騒動、いつしか黒幕になる
⑨妻逝く、酒に酔い無頼のかぎりを
⑩横光に師事し、同人誌を遍歴
⑪文壇登場、芥川賞を受く
・早稲田に入学したのは大正7年。尾崎士郎や井伏鱒二は私の1,2年先輩。予科に入学して横光利一を知った。私の将来を決定した。文学に対して開眼させてくれた。大学卒業後、三重県立津中学で2年間教師を勤めた。この間芥川賞を貰った。その後、成田中学で7年間教師生活を送った。トルストイから虚偽を憎むことを学び、マルクスから健全な社会生活というものを教えられ、ボオドレエルのダンディズムが思想遍歴の仕上げとなった。成田中学で運動に関与したが、運動は成功しなかった。妻は胸を患い死んでしまった。失職後、酒を飲み出し、酒は私を作家に仕上げた。「栄耀」を文芸に発表し、小林秀雄がとりあげてくれたので自信がついた気持ちになった。「厚物咲」で芥川賞に当選した。受賞の喜びは深い悲しみを伴った。(昭和44年8月19日死去)