昭和58年10月5日1版1刷 昭和60年3月20日1版3刷
①ケンカッ早く強い父をうらやむ
②番頭善助に連れられて寄席や芝居に
③昔の芸人、忘れ得ぬ名人面(づら)
④大学卒業まで続いた寄席通い
⑤花袋・秋声浮かび白鳥・荷風現わる
⑥荷風の小説に魅せられ文学熱高まる
⑦“日和下駄”で東京散歩の楽しみ
⑧父の目をごまかして慶応文科へ
⑨口移しではない上田敏先生の講義
⑩二人目の恩師、西洋美術史の沢木教授
⑪芥川、菊地の友情で開眼、世に認めらる
・下谷の呉服屋の2男として生まれる。中学の上級まで病弱だった。我が家の通い番頭の善助は寄席や芝居の立ち見に連れて行ってくれたことは恩に着ている。落語で円喬、講釈で文慶、典山の三人の名人面は一生忘れない。自然主義の小説を読んでいるうちに文学で身を建てようと言う情熱がわいてきた。慶応大学で馬場孤蝶先生の講義に出て文学のわかる先生にぶつかった喜びを感じた。フランス文学とロシア文学に興味を持っていられた。英語は日本語を読むくらいに楽に読めたらしい。すぐに字引を持ったりすることは禁物といわれた。西洋美術史の沢木教授ももう一人の恩師となった。荷風にかぶれていた私の小説を開眼させてくれたのは芥川龍之介、菊池寛の2人だ。2人には随分たたかれたが、そのおかげで私はどうにかものになれたのだと思っている。