風は山河なり 第3巻 宮城谷昌光

平成21年11月1日発行

 

裏表紙「織田信秀は、美濃の斎藤に大敗するも依然として巨大な力を誇っていた。安祥城を織田の配下から取り戻したい広忠は兵を出すが敗走、内訌が止まず、今川義元に助力を求める。嗣子、竹千代を人質として駿府に差し出すことを決めるが、道中、戸田正直の陰謀に巻き込まれてしまう。三河の混乱を傍観していた義元は、ついに太原崇孚雪斎を送り出す。武将たちの思惑が錯綜する第三巻。」

 

阿部大蔵定吉は本当の敵が織田信秀ではなく松平信孝であり、信孝は宗家を強奪すると恐れ警戒した。今川義元は信孝から内紛を聞いたが煩わしかった。義元は三河にも松平にも関心がなく、松平家が滅んでも広忠さえ死ななければいいと考えていた。義元は信孝と岡崎の執政者を和睦させようとしたが、岡崎の年寄が5人とも信孝に同情を示さなかったので、信孝の言い分を退けた。菅沼不春は新八郎定村に家督を譲り、新八郎は四郎を信頼していた。水野家を継いだ信元は広忠に今川との盟約を解き織田と結ぶべしと説くが、広忠は今川に恩義があるとして勧誘に乗らなかった。内室のお大は竹千代を置いて水野に還された。信秀は安祥城の扞衛を果たした。信秀は三河を背面の楯とし、織田家は西を平定し京に旗を樹てるという雄図を描いた。水野信元を使って広忠を誘引するのに失敗すると戸田父子を使おうとした。広忠は安祥城攻めに無理があるなら上野城を攻めると言った。広忠は初めて勝利した。広忠が酒井将監忠尚を赦宥すると、忠尚は改構し、弟忠次は涙を流さんばかりに喜んだ。折しも北条氏康が関東の戦いで勝利し、来春に大きな戦いが予感された。雪斎は今川の下で吉田に向かい、今橋城主戸田金七郎を説伏する時間を与えた。雪斎は説諭を打ち切り、今橋城を襲った。戸田金七郎は戦死した。菅沼不春が亡くなった。享年55歳。秋に信秀の岡崎城攻めの情報が入り、吉田城にいる雪斎に今川の助力を求めた定吉だったが、雪斎はすげない答えをした。広忠は嫡子竹千代を駿府に差し出すことを覚悟した。駿府に送る竹千代を戸田に奪われ、広忠は信秀に従わざるを得なくなった。