私の履歴書 川田順(歌人) 日本経済新聞社 文化人2

昭和58年10月5日1版1刷 昭和58年11月7日1版2刷

 

①年上の少女に初恋の慕情

②日陰者で終わったみめよき母

十三歳の夏、和歌の道へ

④詩人気取りの大学時代

⑤住友生活三十年

⑥皇太子の作歌指導

山口誓子源氏鶏太

⑧住友三十年の大恩人

⑨永遠の女性

⑩妻俊子のこと

 

明治15年1月15日東京下谷区生まれ。根岸で少年時代を送り彰義隊に親しみを覚えた。14歳で日清戦争が勃発。一高に入学し、ラフカディオ・ハーンが東大を去った後、法科(政治)転じた。明治37年、日露が戦端を開いた時は法科2回生だった。文科へ回り道した後、大学を26歳で卒業した。大阪の住友に就職し30年勤め上げた。結婚し長兄三男を養子に貰った。住友を辞し妻が死んだ後、京都北白川に移ったが、敗戦後、殿下の作家指導役に推薦されて就任したが、2年程経て「老いらくの恋」が表面に出たため拝辞した。産経新聞社のさんけい歌壇の選者を依頼されて定時収入を得た。毎日歌壇の選者を委嘱された。定本川田順全歌集の歌集およそ2600首。茂吉の1万5千首に比べて少ない。19年に朝日文化賞を受けた。(昭和41年1月22日死去)