車輪の下 ヘッセ/高橋健二訳

昭和26年11月30日発行 昭和40年8月10日37刷改版 昭和54年2月25日66刷

 

裏表紙「ひたむきな自然児であるだけに傷つきやすい少年ハンスは、周囲の人々の期待にこたえようとひたすら勉強にうちこみ、神学校の入学試験に通るが、そこでの生活は少年の心を踏みにじる規則ずくめなものだった。少年らしい反抗に駆りたてられた彼は、学校を去って見習い工として出なおそうとする…。子どもの心と生活とを自らの文学のふるさととするヘッセの代表的自伝小説である。」

 

1946年ノーベル文学賞受賞。

第1章 シュツットガルトの商店の息子ハンス・ギーベンラートは天性の聡明さから期待されていた。当時、金持ちでない天分のある子は、神学校に入り牧師か教師になる道しかなかった。猛勉強の日々を送り、試験の前日はかつて遊びに興じていた日々を思い出した。試験は失敗し落第したと思い込んだハンスだったが、見事2番という優秀な成績で合格した。

第2章 神学校が始まるまで夏休みの期間、ハンスは朝から川で大好きな魚釣りや川泳ぎを満喫した。故郷は美しい自然が溢れていた。翌日から牧師からギリシア語で新約聖書を学んだ。校長は入学前に勉強しないと追いつかれると指導し、ハンスは再び勉強漬けの生活を送った。そのためハンスはやせて顔色も悪くなった。

第3章 ハンスは故郷を離れマウルブロン大修道院の神学校での寄宿生活を始め、9人の寄宿部屋の中で詩人ヘルマン・ハイルナーと同室になった。彼は詩が好きで勉強に不熱心だった。彼は同級生と喧嘩し、ハンスは彼の見方をせず、距離を置いた。

第4章 同級生が池で溺れ死ぬ事件をきっかけにハンスは、ハイルナーとの友だち関係を復活させた。ハイルナーの影響でハンスの成績は下がり、校長はハンスに冷淡な態度を取った。ハイルナーが神学校を脱走した。

第5章 ハンスは体調を悪化させ医者に神経衰弱と診断された。めまいを起こし授業中に倒れた。ハンスに友達が一人もいなくなっていた。自殺を考えるようになり、ハイルナーに手紙を書いた。ハンスは密漁で無上の快楽を味わった。

第6章 神学校を去り故郷へ帰ったハンスは、近所の店の親戚の娘エンマに恋をした。父親から勧められ、学校友達のアウグストが機械工になっていたこともあり、ハンスも弟子入りした。ハンスはエンマにキスをした。ハンスは苦悩と煩悶にむせび泣いた。

第7章 ハンスは圧搾機の傍で働いた。エンマは別れも告げずに行ってしまった。ハンスは仲間より遅れ笑われながら一番びりの弟子になって仕事場に入った。昔の学校友達の二人がハンスの後ろからやって来てハンスをからかった。ハンスはエンマのことを思い出した。数か月ぶりで日曜の喜びを味わい、ハンスは職人の仲間の一員であることを喜んだ。アウグストたちとビールを楽しく味わった。大酒を飲み、言葉がもつれ、目が回って倒れそうになった。フラフラになって帰る途中、川に落ちて死んでしまった。

 

名言

「生は死よりも強く、信仰は疑いより強い」(49p)

「疲れきってしまわないようにすることだね。そうでないと、車輪の下じきになるからね」(116p)

「あんたとわしもたぶんあの子のためにいろいろ手ぬかりをしてきたんじゃ。そうは思いませんかな?」(209p)

 

優等生がちょっとしたきっかけで人生の坂を転がり落ちて見る影もなくなり、恋にも破れ、かつての友だちからも蔑まされる今日の自分の姿に対して自己嫌悪に陥り、最後は泥酔して事故か故意か分からないような死に方をする。そのため、父親や彼の面倒を見てきた人が手抜かりをしたことを悔やむ。そんな主人公は、結局、車輪の下敷きになって死んでしまったといえるのだろう。だからタイトルは「車輪の下」とつけられたかな。いやはや。これはヘッセの自叙伝でもあるが、昔も今も、こういうことって理不尽だけど、大いにあり得る。転がり落ちぬよう、車輪の下の下敷きにならぬよう、強く生きるしかない。それには「信仰」が必要なのかもしれない。