昭和58年10月5日1版1刷 昭和58年11月7日1版2刷
①ころんで起き上がれない“福助頭”
②醜いものを避ける癖
③相馬御風の思い出
④楽しかった牛込お伽倶楽部
⑤父は優しい気性だが家長の威厳
⑥「神々の死」を繰り返し読む
⑦外交官を望んで一高の仏法科へ
⑧若き日の遍歴
⑨雑誌に一高の寮生活を書く
⑩東大に進み、本や画集を集める
⑪吉野作造博士に声援
⑫「光の精」がわが妻になる
・私は小説を書いていて、言葉の大工である。言葉をすぐって、あとに残るような仕事を出来ればしたいと望んでいる。明治30年10月9日横浜市生まれ。早稲田大学に入り矢来で自炊した。中学で塚原渋柿園の歴史小説を読みふけり、その間に中里介山の「高野の義人」を読んだ。「大菩薩峠」の中里介山の名を覚えた。岸村五郎七が有島武郎の麹町の家で毎週ホイットマンの詩を原文で朗読し訳をつけそれから雑談に入る草の葉会に誘ってくれたので参加した。ラッセルの「自由への道」は愛読した。大学に入ってロマン・ロオランの「争いの上に」を翻訳して洛陽堂から出版して貰った。私の履歴書は通学しない学歴だけで終わることになった。(昭和48年4月30日死去)