いつかはF1 私の履歴書 中島悟

2022年12月1日第1刷

 

表紙「F1ブームを巻き起こし、モータースポーツを牽引 日本人初のF1フルタイムドライバーを経て、レーシングチームの総監督。クールな語り口で、サーキットの臨場感たっぷりに来し方を振り返る言葉は、レースの未来、さらには人と車、車と社会の理想的な関係まで見通す。」

 

目次

はじめに

第1章 助走

大好きな兄への劣等感/カートで始まったレース人生/山道で腕を磨く/登竜門

第2章 プロの世界

FJ1300で7戦7勝/星野一義さん/英国のF3参戦/希望と不安/かなった願い

第3章 F1挑戦

ブラジルGPでF1デビュー/英国GP、4位に/鈴鹿に〝凱旋〟/フィジカルの重要性/マシントラブル/おふくろのこと

第4章 ロータスからティレル

雨のナカジマ/セナとプロストの〝戦争〟/最後の鈴鹿本田宗一郎さんのこと/新しい波

第5章 引退、自分のチームを持つ

3本柱/チーム結成/セナの死/幻のティレル買収/英国暮らし

第6章 これからのレース、これからの僕

スクールの校長/2人の息子/レースの未来

おわりに

 

・昭和28年2月23日愛知県岡崎市生まれ。小学生でダンプを運転し、高2の夏に中古の100ccのカートで初レースに出場して優勝した。18歳でフェアレディZを父に買ってもらい、年間10万キロ走った。19歳でフェアレディZを手放し、鈴鹿サーキットに通い、A級ライセンスを取得した。77年にFJ1300で7戦7勝と完全制覇し、国内最高峰のF2000では総合王者は星野一義さんで、「日本一、速い男」といわれた星野さんの前を走ることが目標となった。日本のF2選手権で初勝利を挙げた78年、英国でF3レースに挑戦。81年から2連覇、84年から3連覇を支えたのはF1への思いだった。そしてホンダがF1降る参戦を公表し、念願が遂にかなった。ブラジルGPで7位、英国GPで4位、国内の鈴鹿で6位入賞。体力強化の必要性を感じ科学的なフィジカルトレーニングを導入した。91年2月に38歳で最年長組となり引退した。次代のシューマッハはアスリート・レーサーの先がけで、表彰台で何度もジャンプする姿を見て、“なぜそんな余力があるのか”とショックを受けた。