橘花抄 葉室麟

平成25年5月1日発行 平成28年8月10日10刷

 

裏表紙「両親を亡くした卯乃は、筑前黒田藩で権勢を振るう立花重根に引き取られたが、父の自害に重根が関与したと聞き、懊悩のあまり失明してしまう。前藩主の没後、粛清が始まった。減封、閉門、配流。立花一族は従容として苦境を受け入れるが追及は苛烈を極め、重根と弟・峯均に隻腕の剣士・津田天馬の凶刃が迫る。己の信ずる道を貫く男、そして一途に生きる女。清新清冽な本格時代小説。」

 

黒田家第三代藩主黒田光之は前藩主で、その嫡男綱之は廃嫡されて出家し泰雲と名乗り、四男綱政が跡目を継ぎ現藩主となった。立花重根は藩の重鎮として、前藩主光之と泰雲との不仲を元に戻し、泰雲と現藩主綱政との不仲についても関係改善のために働いたが、周囲からは私益を図とうとする者だと誤解された。重根の弟峯均は御前試合で無様な負け方をしたため発心して宮本武蔵二天一流を会得し、兄重根を護衛した。卯乃は綱之の廃嫡騒ぎの際に父村上庄兵衛を亡くし、後難を恐れて誰も手を差し伸べない中、重根に引き取られた。その後、卯乃は父庄兵衛の自害に重根が関与したと聞き、懊悩のため失明し重根の継母りくが卯乃を預かり香道を教えた。峯均はりく・卯乃と同居した。重根は後添えに卯乃を迎えようとし、卯乃の心は揺れた。泰雲が成長した卯乃を呼び寄せ、実は卯乃は自子で庄兵衛は育ての親だと明かし、光之と泰雲の和睦を機に卯乃を重根に嫁がせようとした。が卯乃は泰雲を父と感じられず、己の勢力拡大のための縁談と思い、断った。光之は亡くなる直前、何故に泰雲を廃嫡にした理由をはじめて泰雲に明かした。それは二代忠之が初代藩主長政に廃嫡されそうになったことがあったが、二代忠之の気性に泰雲のそれが似ていたからだった。綱政は忠之の生前に泰雲と重根が会っていることを知り、自らの地位が脅かされると思い、両者の切り離しを画策し、そのために卯乃が刺客に襲われたが、峯均から指示を受けていた峯均の一番弟子が命がけで卯乃を救出した。綱政は重根の隠居を許可すると同時に峯均を減石処分にしたほか、重根に連なる者をも一斉に処分した。忠之の一周忌を終えると重根は配流処分となった。泰雲は綱政の非道を江戸に出て訴えると言い出し、警護を峯均に頼むが、峯均は黒田騒動の二の舞となり、今度は大膳のように上手く行かないから警護を引き受けることはできないと答える。峯均からその話を聞いた重根は自らの血を墨にして爪楊枝を筆に代えて、思いとどまるよう泰雲宛の書状を書いた。泰雲は江戸行気を思い留まったが、重根を訪ねた峯均にも島流しの沙汰が下された。卯乃は峯均が戻るまで何十年でも待ち続けると語る場面はグッときますね。泰雲が江戸に向かうため屋敷を出ると、目の前にはいつもの刺客が立ち塞がり、泰雲の命を奪った。重根が卯乃に約束した目の良医が卯乃の目の前に現れた。白内障と診断し水晶体を針で突く墜下法を施術した。一歩間違えれば光を失う。術中、刺客は重根を襲った。重根の生死を越えて信念を貫こうとする姿が秦雲の姿と重なり、怯えた刺客は重根を斬らざるを得なかった。光を失って4年経ったが、卯乃は光を取り戻した。刺客は峯均の前にも現れた。死闘に継ぐ死闘の果てに勝利を収めたのは峯均だった。峯均が配流されて7年目に峯均は許され、光を取り戻した卯乃の下に帰ってきた。

 

重根とその弟峯均の生き方も、りくの女としての生き方も素晴らしい。

「死ぬことより、おのれの向かう道を見失うことのほうが恐ろしい」

「負けぬというのは、おのれを見失わぬことだ」