東山魁夷(画家) 私の履歴書 文化人6

昭和58年12月2日1版1刷

 

①孤独な精神生活-ひとり「絵」を楽しむ

②先生に励まされ画家への決意

③美校へ進学-帝展に初入選

④欧州へ留学してルネサンス美術に興奮

⑤帰国-結婚-疎開-召集

⑥すべての肉親を失い、どん底から進路発見

⑦大器晩成への足どり

⑧「光昏」で芸術院受賞

吹上御所の壁画描き、北欧へ旅立つ

⑩芸術の世界に年齢はない

 

・中学の上級になるにつれ、画家になりたい希望が強く湧いてきた。洋画家になりたかったが、父から日本画でなければダメだと言われ、美術学校を受験して合格した。帝展に「山国の秋」を出品すると入選した。卒業と同時に結城素明先生に師事し魁夷という雅号をつけた。ドイツ語を2年学び、外遊費用を作ってドイツをはじめ欧州で学んだ。帰国後、兵役につき、米軍赤十字クラブで日本画を教えた。第二回日展で「水辺放牧」が入選し、第三回日程に出品した「残照」は特選となった。以来、風景画家として立つ決意をした。第六回日展に「道」を出品した。青森県八戸の種差海岸の牧場でスケッチしたのにヒントを得て道一つに構図を絞った。市川市に家を建てて移った。第11回日展に「光昏」を出品し芸術院賞を受けた。翌年銀座松屋でスケッチ展が開催され最終日に川端康成氏がこられ、以来交際を頂いた。東宮御所の壁画、吹上御所の風景画を依頼された。その後北欧の旅に出た。デンマークスウェーデンノルウェースカンジナビア三か国とフィンランドを回った。心が澄めば絵も澄み、心が深くなれば作品も深くなると思う。