浄瑠璃坂の仇打ち《上》 高橋義夫

2005年11月20日発行

 

家康に見参を許された宇都宮藩の奥平隼人と奥平内蔵丞は親戚の家柄ながら犬猿の仲だった。城主に殉死した杉浦右衛門兵衛の取り扱いについて幕府に事実通り報告するか病死とするかでも対立した。前藩主奥平忠昌の法要の際、奥平隼人が奥平内蔵丞を面罵し、内蔵允が憤慨し隼人に抜刀すると返り討ちに遭い怪我を負う。その夜のうちに隼人も喧嘩両成敗となることを願い内蔵允は切腹した。が内蔵丞は乱心の上自殺とされ、隼人は領外退去となる。殉死を幕府から咎められた奥平家は2万石を減石され出羽山形藩に転封される。喧嘩両成敗なら隼人切腹のはずが、隼人とその父半斎は壬生藩、諏訪藩に身を隠す。隼人を炙り出すために内蔵丞の嫡子源八の叔父伝蔵らは、隼人の実弟・奥平主馬を山形・出羽上山で討ち取る。