2022年8月9日第1刷
・カーネギーは莫大な財を成した後、世界各地に二千五百もの図書館を寄付したという。敵うべくもないが、私も「こどもの本の森」を、中ノ島、岩田県・遠野、神戸にオープンさせた。お金も才能も後ろ盾も波がなくとも生きる目標・夢は必要だ。
・1941年9月大阪生まれ。高2の時、プロボクサーとしてデビューしたが、回復力のすさまじさを思い知らされ、すっぱり諦めた。経済事情と学力の問題から大学進学を諦め独学だった。本との付き合い方が変わったのは、吉川英治『宮本武蔵』、幸田露伴『五重塔』、和辻哲郎『古寺巡礼』『風土』との出会いがあったから。丹下作品に感動した。一級建築士ですかと聞かれて奮起して勉強し、二級建築士、一級建築士試験に合格。20代で海外旅行し、ル・コルビュジェの作品の数々を見て集まりくる人々の心と心をつなぎ感動を刻み込むのが建築の真の価値だと強く認識した。東京オリンピックから大坂万博にかけて多くの先鋭たちと知り合った。初めて作った住宅が「住吉の長屋」。この人に写真を撮ってもらえたら一流と言われた二川幸夫さんから面白いと言われたのが励みとなった。「光の教会」は社長の竜巳建設の社長一柳幸男さんが手をあげてくれたことで実現した。サントリーの佐治敬三さん、京セラの稲盛和夫さん、アサヒビールの樋口慶太郎さん、ダイキンの山田稔さん、東洋紡の宇野収さん、太陽工業の能村龍太郎さんなどから多くの事を学んだ。ベネッセの福武總一郎さんから荒廃した島を豊かにし現代美術の場にするという信念に感銘しAMDOMUSEUMが完成した。
・68歳で胆のう・胆管・十二指腸の全摘手術、73歳で膵臓・脾臓摘出手術を受けた。それでも今も希望をもって挫けず持続力を発揮し続けている。
・山極寿一氏との対談で、こどもの本の森は見返りを求めない贈り物と山極氏が語ると、安藤氏は建築費用は発案者の安藤氏本人が担い、土地は大阪市が提供し、蔵書の準備運営資金は個人・企業の民間寄付を原資とし、文化人から本の寄贈を受けたことを明かし、子供たちの目の輝きが明日の世界の希望だと述べて締めくくっている、