今西錦司(京大名誉教授) 私の履歴書 文化人19

昭和59年7月2日1版1刷 昭和62年2月20日1版2刷

 

①京都生まれ-生家は西陣の織屋

②学生時代―山登りに夢中

③『生物社会の論理』―棲み分け理論を展開

南樺太へ―地図なしで山脈歩く

⑤大興安嶺探検―天測で位置確認

⑥人文研入り-ニホンザル研究に着手

⑦ヒマラヤ行―カラコラム支隊長になって出発

⑧アフリカへ―チンパンジーに取り組む

⑨霊長類研究所設立―基礎研究充実めざす

岐阜大学長に就任―統合問題を解決

 

・1902年1月6日生まれ。京都一中に進み、2年から登山を始める。以来全国で足跡を残した山は662を数える。三高、京大農学部へ進む。本多静六『日本森林植物帯論』が研究の進路を開いてくれた。戦時中に『生物の世界』を書いた。数え年で40歳の時で当時は無給講師だった。多極相説に自信を得て終戦後に『生物社会の論理』を発刊した。戦後は京大の動物学教室に戻る。人文科学研究所に移り西洋部で属した。本能的行動のほか文化的行動のあることを主張した私の説はニホンザルの研究を通して実証された。幸島でのサルの餌づけに1952年に成功した頃、ヒマラヤ計画を進めた。犬山市日本モンキーセンターを立ち上げ、世界中のサルを集めるつもりだったが、それは不可能だった。現在70種保有している。霊長類研究所は京都大学に付置された。1965年に京大を定年退官した後、岡山大学に移り、その後岐阜大学の学長を引き受けた。