昭和59年7月2日1版1刷 昭和62年2月20日1版2刷
①銀座育ちの江戸っ子
②先生がたの思い出
③中学時代、天文に興味
④母の死
⑥東大水産学科
⑦作曲公簿に当選
⑨海坊主との対面
⑩夜の本郷通い
⑪結婚と父の死
⑫協会への導き
⑬七尾市へ転勤
⑭浜名湖のアサリ中毒事件
⑮東大教授を兼官
⑯戦時下へ魚学ご指導
⑰皇太子へ魚学ご指導
⑱皇太子にお供して
⑲華厳の滝の冒険
⑳ロックフェラー財団の招き
㉑エジプトで見た魚のミイラ
㉒世界最初の深海用潜水船
㉓オーストラリアへ遠征
㉔京急油壺マリンパーク水族館
㉕ぬけがら人生
・名古屋の八高卒業後、東大農学部水産学科に入学。卒業後は農林省水産試験場に嘱託として採用され、生物係に配属された。養殖係、漁撈係を経験し、昭和16年能登半島の水産試験場七尾分場主任として転勤した。19年東大付属南方自然科学研究所教授として東大に迎えられ、東京と七尾を行ったり来たりした。22年に東京に戻り、30年皇太子殿下に魚学をご指導申し上げ5年間週1で参内した。ロックフェラー財団から招聘され4か月間世界の水族館や海洋研究所を巡った。この世の生命エネルギーが一定のものだとすれば、死の瞬間、母体を去った生命エネルギーは新たに誕生すべき何らかの生命に転位すると思う。