タクシー運転手 約束は海を越えて 2017年 監督チャン・フン

1980年に起きた光州事件を題材にした映画(実話)。第90回アカデミー賞外国語映画賞

1980年5月に韓国の全羅南道光州市で起こった光州事件は、全斗煥(チョン・ドゥファン)らによるクーデターや金大中(キム・デジュン)の逮捕を発端に、学生や市民を中心としたデモが戒厳軍と銃撃戦を伴う武装闘争へと拡大していった。ソン・ガンホが演じるソウルのタクシー運転手キム・マンソプは、家賃も4か月分10万ウォン滞納し、民主化デモも当初は商売の邪魔としか思っていなかったが、10万ウォンという高額な運賃に釣られてドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーターを乗せて、電話網も遮断され、報道規制が敷かれ、軍が道路を封鎖していた光州へ入った。記者は日本から宣教師と偽り韓国入りした筋金入りのジャーナリストだった。検問のため高速道路から入ることは出来なかったが、田舎の道を通って検問が厳重でなかったので適当な理由をデッチ上げて潜入に成功する。記者は軍が一般市民や学生に警棒で暴虐を限りを尽くす現場を目撃し、これを撮影して世界に配信することを決意する。キムは光州で命を張って軍に抵抗する若者たちや見ず知らずの自分におにぎりを与えてくれた女性たちと出会い、彼らが次々に死に、大怪我をしている姿を見ているうちに記者が映像を撮影していたことの意味を理解し、克明に事実を撮影した記者を光州からソウルに戻すことを決意する。深夜になり、途中まで光州から一緒に同行した、英語が使える学生を降ろし、記者を乗せてソウルに向かおうとしたが、タクシーがトラブルを起こし動かなくなってしまう。11歳の娘を独りでソウルの家に残し、電話も不通のために心配でならなかったが、同業のタクシー運転手の家に記者や学生と一緒に泊めてもらう。同じ頃、光州の軍による暴挙をスクープした新聞記事が出来上がり、いよいよ刷り上がる段になって、会社の部長たちが印刷工場に押し入って発行を強制的にストップさせた。テレビでは学生と反社が暴動を起こしたという偽のニュースが流されていた。テレビ局前で暴動が起き、記者はカメラを持って再び現場に臨む。軍の車両が大量に現れ、私服軍人が記者を逮捕しに来ていた。学生が捕まり、カメラとテープを引き渡さなければ学生を殺すと脅されると、学生は軍人に英語で話をして伝えると言い、英語で話し始める。学生は、真実を世界に伝えてくれ、だから逃げてくれと。命がけで記者を逃がしそうとした学生を後に記者は逃げた。キムは記者からカメラとテープを奪って学生を救おうとしたが、記者は従わない。キムは記者を追いかける途中で、裸にされた大勢の男性たちがトラックに乗せられているのを見て驚く。逃げ惑うキムを軍人は捕まえクビを絞めて殺そうとしたところに記者が現れキムを救出し、2人は逃げた。同業者にソウルナンバーだと捕まると教えられ、地元のナンバーに交換してもらってキムはタクシーを修理に出した。翌朝の新聞を見てキムたちは驚く。記事には、軍人が暴徒化した学生と反社に殺されたとなっていた。キムは娘と出掛ける約束を守るために修理を終えたタクシーで、一旦は単身ソウルに戻ろうとしたが、途中で悶々とし出し、娘に連絡を取って戻れないことを告げて記者を迎えに行った。同業者の家に寄ると、皆病院にいると聞く。病院では例の学生が殴り殺されて遺体となっていて、同業者の父が傍で泣いていた。その隣で項垂れていた記者を見つけたキムは、学生の遺体や病院内を撮影し、世界に知らせるのがあなたの役目だと言って記者を励まし、記者は再びカメラを手にする。軍人たちは負傷した市民を救おうとした市民にも拳銃を向けて乱射し次々と殺していった。それを見た同業者はタクシーを使って市民を救出しようと叫び、キムも一緒に救出活動に参加した。タクシーを盾に負傷者を助けに行くと、ダンプカーも登場し、それを見て大勢の市民がけが人の救出活動に乗りだす。が軍人たちはその人達をも次々に狙い撃ちして殺害していく。記者を乗せたキムを、軍人たちは追い掛け、検問所を封鎖する。裏道を教えられたキムはひたすらソウルを目指すが、そこにも検問所が設置されていた。何とかやり過ごそうとしたが、外国人を通すなとの無線連絡が入ったため強行突破すると、軍用車が4台追い掛け拳銃を発砲して絶対絶命に陥る。がその時同業者のタクシー仲間が助けに現れる。しかし軍用車に1台ずつ潰されていく。最後の1台になった学生の父親は猛スピードでタクシーをバックさせて軍隊の車と衝突させ、キムと記者を逃がした。何とかソウル空港に到着した記者は無事出国し、光州での残虐なシーンが世界に配信された。キムは涙を流しながら娘と再会する。娘は涙の意味を知らない。記者はその後キムを探したが見つからなかった。2005年再び記者は韓国入りし、表彰され挨拶の中で勇敢なタクシー運転手キム・サボクに会いたいと述べた。キムはタクシー運転手を続けていた。キムがいなければ取材は不可能だったとする記者のコメントが翌日の新聞に掲載され、キムはタクシーの中でその記事を読む。2016年本物の記者が映像に現れ、キムに会いたいと実写が流される。その年記者は亡くなった。

 

記者だけでなく、タクシー運転手も実在の人物。光州事件で戦ったタクシー運転手たちも実際にはいたらしい(ネット情報によると、『全記録 光州蜂起 /80年5月/虐殺と民衆抗争の十日間』には“多数の車両がヘッドライトを照らし、警笛をならしながら突進。最先頭には荷を満載した大韓通運所属の12トントラックと高速バスが立ち、市外バス11台が続き、その後には200余台の営業用タクシーが錦南路をいっぱいに埋めた”らしい)。

現在の平和は、無名の数多くの市民のたくさんの血の上に成り立っていることを教えてくれる作品である。