世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 出口周

2018ビジネス書大賞準大賞!
久しぶりに面白い本に出会った。おススメの一冊です。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」は、野村監督のものではなく、江戸時代の武芸家である松浦(まつら)静山の剣術書『剣術』に記した言葉だそうだ(40p)。誤解している人は大勢いそう。

「他の人と戦略が同じ」という場合、勝つためには何が必要か。
「スピード」と「コスト」しかない(50p)。そりゃそうだわね。でも、必然的にレッドオーシャンで戦うことにならざるを得ないという指摘はずばり正しい。
直観と論理的思考の両方を使うことの重要性(87p)。その上で「美しさ」を目指すことこそが重要だと指摘する羽生善治さんの感性とそれを引用する著者の鋭さ。うなるしかない。

「アカウンダビリティ」とは要するに「言語化できる」。「言語化できる」ことはすべてコピーできる。しかし、ストーリや世界観はコピーできない(120p)。おそらく本書はこの一言が最も言いたいことなんだろうと思う。だからこそストーリーと世界観こそ、考える必要が一番ある。

ベネディクトの「菊と刀」の中における「恥に頼る文化」と「罪に頼る文化」の二分的な人類学的研究を紹介しつつ、恥の文化には、所属する組織が多重構造であり、したがって、自分が一番強度に所属する組織とそうでもない組織との『相対化できる知性』を持つことの重要性を指摘して、「美意識」(スタイル・エスプリ)を持つことの重要性を強調しています(150~151p)。正しいようにも思うが、ちょっと難しいですね。

そのことは「誠実さ」ということとも関係しているとも説明しています(178)。多分そうなのでしょうね。

そしてシステムを修正できるのはシステムに適応している人だけとも指摘しています(184p)。実はこの視点はすごく重要だと思います。

「一目見て、イイものはイイ、ダメなものはダメ」「ピンとくるかどうか」(206p)。
それこそが「アート」と「サイエンス」の問題のバランスを熟慮し、「アカウンタビリティ」を偏重することの危険性に警鐘を鳴らしている筆者が最も言いたいことだろうと思います。そして「美のガバナンス」は周囲の人にもまた高い美意識を要求することになる、とも説くわけです(208p)。

「見て、感じて、言葉にする」(218p)。読むこと・理解することよりも、まず先に、必要なことをシンプルに指摘してくれています。このことに気づくこと自体がとても重要なことですね。

そして小林秀雄の菫(すみれ)のエッセイにつなげるわけです。小林のエッセイ自体は読んだことがあるわけですが、このエッセイに込められた意味合いがどこまで自分が理解できていたのだろうか?と、自分に対して疑問符をつきつけることができた瞬間でした。

そして「見る」ということから、「哲学」こそが土台になければならない。それこそが「美」意識を基礎となる。そして「文学」を、「詩」を読むことがどういう意味があるのか、とりわけリーダーシップとの関係でその重要性を指摘している筆者の『感性』に拍手を送りたい気分で本書を読み終えることができると思います。

という意味で、本書は優良な一書です。少々荒っぽいですけどね。