魯迅 中国の近代化を問い続けた文学者 筑摩書房編集部

2015年11月20日 初版第1刷発行

 

21歳で東京に留学。最初、弘文学院に。

仙台医学専門学校に入るため1人で仙台に。

理由は周りの仲間に革命精神を感じなかったため。

皆、立身出世のために学んでいると感じた。

そこで、灯幻事件をきっかけに帰国。傍観者に怒りを感じて。

なお仙台で遠野先生と出会う。真っ赤にしてノートを添削する遠野先生。

帰国後、しばらく沈黙を守る。「新青年」に対しても最初は距離を置く。

そして、ついにペンを執る。「狂人日記」。食人の話。

根底には、周りを批判するだけでなく、国を変えるためには自分をかえよ、と訴える。

口語を用いるという新しいスタイル。

阿Q正伝。巴人(パーレン)のペンネームで。自分の非はかえりみず、すべてを何かせいにして優越感にひたる。自分=阿Qであり、これを倒してこそ革命は成就する、と訴える。

後、厦門大学、中山大学で教授に。

内山書店を経営する内山完造の助力を得て書き続ける。55歳没。

毛沢東魯迅の背骨はもっとも硬い」と。

 

一人立つ、真の革命家、ここにあり。