2018年4月初版 2019年10月第2版
本草学、科学、戯作、画家、鉱山師、陶芸家、俳人―多彩な才能にあふれるアイデアマン。土用の丑の日にウナギを食べるという習慣も源内のアイデアだった。エレキテルの代名詞で知られ、江戸のダヴィンチとも呼ばれる平賀源内。と、はじめに、に書かれていた。名前は知っていたが、伝記は読んだことがなかったので、面白かった。エレキテルについては源内が発明したと、私はこの本を読むまで勘違いしてました。あくまで修復と復元をしただけで、理屈を解明して発明したわけではなかったようです。源内の晩年はちょっと寂しい。自分の作成した設計図が盗まれたと勘違いして人を殺めてしまい、そのため52歳で獄中で病死しています。
それでも杉田玄白の『解体新書』の挿絵を書くことになった小野田直武に洋画風の理論・技法を教えたのも源内だし、本業の学者として研究を進められなかったものの、副業で戯作や陶芸などをすればすぐに収入を上げられるため。やはり天賦の才に恵まれた人だったようです。