トカトントン 太宰治

2005年8月10日第1刷発行

 

走れメロス』と題するデカ文字文庫に収められていた短編。

玉音放送が流れた直後、主人公は「死のうと思いました。死ぬのが本当だ、と思いました」、「その時です。背後の兵舎のほうから、誰やら金槌で釘を打つ音が、幽かに、トカトントンと聞こえました。それを聞いたとたんに、眼から鱗が落ちるとはあんな時の感じを言うのでしょうか、悲壮も厳粛も一瞬のうちに消え、私は憑ものから離れたように、きょろりとなり、なんどもどうにも白々しい気持で、夏の真昼の砂原を眺め見渡し、私には如何なる感慨も、何一つも有りませんでした」「それ以降げんざいまで続いて、私は実に異様な、いまわしい癲癇持ちみたいな男になりました」「何か物事に感激し、奮い立とうとすると、どこからとも無く、幽かに、トカトントンとあの金槌の音が聞こえて来て、とたんに私はきょろりとなり、眼前の風景がまるでもう一変してしまって、映写がふっと中絶してあとにはただ純白のスクリンだけが残り、それをまじまじと眺めているような、何ともはかない、ばからしい気持になるのです」。

小説を書きすすめていよいよ完成まじかに突然聞こえてきたトカトントン

仕事に精を出して誰よりも大車輪のような働きぶりだったのに突然トカトントンが聞こえてくる。

恋をした女性を目の前にした時に、トカトントンの釘打つ音が実際に聞こえてきた。

青森で労働者のデモを見て真の自由というものの姿を見て大歓喜の気分になったところでトカトントンと遠く幽かに聞こえてきた。

トカトントンが頻繁に聞こえるようになり、新聞を読んでも、相談を持ちかけられ名案が浮かんだときにも、火事場に駆けつけようとしても、酒を飲もうとしても、気が狂ってしまったのではなかろうかと思っても、自殺を考えても、トカトントンが聞こえてくる。

主人公は「教えて下さい。この音は、なんでしょう。そうして、この音からのがれるには、どうしたらいいのでしょう」と手紙に綴る。この手紙を受け取った某作家は、「『身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼れるな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ』この場合の『懼る』は、『畏敬』の意にちかいようです。このイエスの言に、霹靂を感じる事が出来たら、君の幻聴は止む筈です」と返信する。

この短編を読むのは2度目だ。最初は何のことを言っているのだろうと思ったが、先日、社会学者の大澤真幸はラジオでトカトントンを通して概要次のように語っていた。
 ”毀滅の刃は大正時代を時代背景に置いた。これはなぜか。
 司馬遼太郎は、日本の死者を描こうとした。しかし坂の上の雲日露戦争)に遡るのが限界だった。昭和 20 年 8 月 15 日で過去と未来は断絶させられている。それが未来の世代に責任を負うことができない日本人の問題だ。死後は元々は宗教が取り扱おうとしていた。国家主義は宗教に代わって、これまでの人はこれこれのために死んでいった、次は自分の番だ、そういうプロジェクトの中に自分を位置付ける。そういう意味では一種の宗教だ。主観的には古くても客観的には新しい。なぜ古いものにしようとするのか分からないが、古いものほど価値がある。日本は戦後過去の死を受け入れていない。あの戦争は間違っていたとして過去を受け入れない。したがって未来も受け入れない。だから将来世代に責任が取れない。そういう文脈で毀滅の刃も大正までしか遡れなかったと理解できる。司馬遼太郎日露戦争にまでしか遡れなった。太宰治玉音放送トカトントンと聞こえた。現代的には「なんちゃって」ということだ。これだと過去と断絶する。今目標にしているものが素晴らしく見えたとしても、後で振り返ると、なんだこれは?となる。トカトントンの音が聞こえてくる。やる気が出ない。その最たるものがバブルだと思う。今も同じ。日本に特有の問題。しかし普遍性を持つ問題でもある。太宰のトカトントンはそれを言おうとしている”と。なるほどー。
社会学者は、三段論法を用いずとも一定の説得力を持つ言説を展開する力があるのだと感心した。この説得力の根拠は何なのか。今度、時間を見つけて探究したい。