2050 年のメディア  下山進

2019 年 10 月 25 日第 1 刷発行 2019 年 11 月 30 日第 2 刷発行

 2018 年 4 月より慶應 SFC にて特別招聘教授として、調査型の講座『205 年のメディア』を立ち上げる。本書はその講座を出発点として、読売、日経、ヤフーの三社のこの 20 年の軌跡を調査、メディアの巨大な変化を明らかにしたノンフィンション。1993 年コロンビア大学ジャーナリズムスクール国際報道上級過程修了。著書にアメリカの調査報道の衰退を描いた『アメリカ・ジャーナリズム』(丸善 1995 年)、ロイター・ブルームバーグ日本経済新聞時事通信を軸に、インターネット以前の電子メディアがグローバル資本主を成立させていく過程を描いた『勝負の分かれ目』(KADOKAWA2002 年)がある。上智大学新聞学科非常勤講師も兼ねる。

 表紙裏には「『読売はこのままでは持たんぞ』2018 年正月の読売賀詞交歓会。いつも『経営は盤石』と太鼓判を押す渡邉恒雄がその年は違った。『紙の王国』に大きな危機が訪れていた。分水嶺は 2005 年に訪れていた。1995 年には存在すらしていなかったヤフージャパン。そのヤフーは、読売からのニュース提供をうけて、月間 224 億 PV という巨大プラットフォームに成長。危機感を抱いた読売新聞の社長室次長山口寿一(後のグループ本社社長)は、ヤフーに対抗して新聞社が独自のプラットフォームを持つことを思いつく。日経、朝日に声をかけ、ヤフー包囲網がしかれたかに見えたが・・・・。同じ時期、日本経済新聞社長の杉田亮毅は、無料サイトみきりをつけ、電子有料版の準備をひそかに進めていた。」とある。

 読み応えのあるノンフィクション作品であることは間違いない。近年、ネットと新聞との競争にここまで深くメスを入れた書籍があったとは、という驚きを禁じ得ない。

 ヤフーが急成長する中で、広告を含めて全国紙が苦戦し、部数が減少していく。その中で日経が有料ネット記事配信に向けて着々と準備を進める様を詳細にわたって克明に事実を積み上げてルポとして記述する著者の取材力には舌を巻く。
 読売の清武の乱は確かに鮮明に記憶しているが、その後どういう事件の結末を辿ったかについては薄ら覚えしかない。この本によると初動段階の読売側の奇襲戦法が奏功したようだ。清武の婚約者でシンガポールにいた明子に対しシンガポール高等裁判所を通じて得ていたアントンピラ命令により婚約者の自宅パソコン内のハードディスをコピーされたことで、清武がやっていたことの証拠をつかんだ読売側が大半の訴訟に勝訴していた。驚くのは清武がフィアンセに対し機密資料となるメモを送っていた、そのメモは長嶋茂雄に関するもので、このメモを使って清武とフィアンセが著書の出版をもくろんでいるが、メモは読売が著作権を持つ財産だから差し止める必要があるとしてシンガポールの裁判所に訴え出たもので、これが認められて重要証拠を手に入れた読売が大半の裁判を勝訴したのだが、この証拠保全の理屈は読売がでっち上げたものだと清武が別の裁判で主張したことに対し、清武がフィアンセに送ったメモにより読売に損害が生じたことはないと判断されたというところにある。先制攻撃をかけてそれが上手くいったが故に読売が結果的に全面勝訴したとのだとしたら結構怖い話ではある。読売対文春の原監督一億円恐喝報道も記憶に新しいが、著者はかなり詳しく取材してルポしてくれている。アメリカは 2004 年から 2018 年にかけて 1 億 2000 万部か 7000 万部に新聞全体で落ち込んだ(端数は端折りました)。ニューヨークタイムズイノベーションレポートは衝撃的だ。編集と業務の垣根こそが問題だったというのだ。そしてニューヨークタイムズは紙よりデジタル販売を重視した結果、生き延びることが出来たのだ。日経はテクノロジー・メディアを目指し外部のベンダーにアプリ制作等を依頼していた体制を見直し、自前でエンジニアを確保する方向に舵を切っており2019 年 6 月時点で 100 名を超えるエンジニアを抱えている。日経電子版のスマートフォン用アプリも社員であるエンジニアが内製化して作っている。
 一方、ヤフーは、新社長となった川邊健太郎の下、2019 年 6 月の株主総会でヤフーはソフトバンクの子会社となりメディア企業からデータ企業に完全に脱皮しようとしている。メディア関係の有力社員が退社して転職していく。その一人の奥村倫弘は最後に「答えはネットの中にはない。本の中にある」というメッセージを残してヤフーを去って行く。
 終章 2050 年のメディアで日刊新聞法では株式譲受人は会社事業に関係ある者に限定できる旨の条文が定めていると指摘し、それによって新聞社の安定が保たれている反面、激変に対応が出来なくなっているのではないかという著者の問題意識は確かに相当鋭いものがある。
 面白かった、の一言に尽きるノンフィクション作品である。