偉人たちの挑戦2 物理学編1 東京電機大学編 

2022年3月20日第1版1刷発行

 

ロバート・ボイル 「ボイルの法則」(PV=一定)で知られる近代科学の先駆者   

 (体積Vと圧力Pは反比例)

 「科学者が人類に行った著しい貢献のひとつは、実験し、観察データを集めようと努力したことである」

 

ロバート・フック ニュートンの陰に隠れたもう1人の天才科学者

 「望遠鏡が使用され、顕微鏡が用いられ、目に見える世界が新たに見出され、多様な創造物を見ることができる」

 

アイザック・ニュートン 近代科学の巨人

 「私は仮設を立てません」

 

ベンジャミン・フランクリン 科学者として、また政治家としても活躍した

 「明日なすべきことあらば、今日のうちにせよ」

 アメリカ独立宣言は1776年7月4日、フィラデルフィアから全世界に向けて発表された。原文を書いたのは若きジェファーソン(33歳)、中心人物ジョージ・ワシントンは44歳、フランクリンは既に70歳。「すべての人間は生まれながらにして平等であり、神によって、生命、自由、幸福の権利が与えられていることを、我々は絶対の真理であると信じている」

 

ジェームズ・ワット 蒸気機関の生みの親

葬式について「ショーやパレードなしに、できるだけひそやかに頼む」と遺言

 

ゲオルク・ジーモン・オーム 「オームの法則」(電流の強さは電圧に比例し抵抗に反比例する)を発見した物理学者 今やオームの法則超伝導(電気抵抗がゼロになる現象)技術に活かされている。

 

マイケル・ファラデー 電気学の父

 「私は最後まで、ただのマイケル・ファラデーでいたい」

  自転車の発電機(運動エネルギーから電気を作り出しライトをつけることができる)、

  モーター(電気エネルギーを運動エネルギーに変える)の元になった電磁誘導を発見

(8/29)

 ファラデーは王立研究所の教授になった後も屋根裏部屋の質素な暮らしを続けた。

ケルヴィン卿(ウィリアム・トムソン) 「絶対温度」の研究で知られる

 「科学は、永久に続く慣例となっている法則により、正当に提供されるどの問題に対しても、恐れずに立ち向かう運命にあります」

 10歳でグラスゴー大学に入学し17歳でケンブリッジ大学に入学。22歳でグラスゴー大学教授として迎えられた若き天才。イギリス学術振興協会で酒の醸造業者の発表は周囲から冷ややかに迎えられたがケルビンはその報告からひらめいたものがあり共同研究を始め、遂に絶対温度―273.15℃を絶対零度と定める新しい基準を発表。

 

ジェームズ・クラーク・マクスウェル 電磁気学の分野で、重要な功績を残した

「科学こそ、学問の真実に至る王道である。どこかで間違っても、自然がその誤りを指摘するからだ」

 

ヴィルヘルム・レントゲン X線を発見し医療に偉大な恩恵をもたらした

 「私は考えたのではなく、ひたすら実験を繰り返したのです」

 

J.J.トムソン 電子を発見したイギリスの物理学者

 「大発見というのは終着駅ではない。我々は1つの山の頂上に登るとそこで発見するのは、今まで征服したどの山よりもはるかに高い山が、その先にあるということだ」

トムソンの一番弟子ラザフォードが原子核を中心に電子がまわっているモデルを発見。

 

マックス・プランク 「量子力学」理論の開拓者 

 「各々の科学の主目的はその中に生じるすべての理論を唯一のものに融合させることに存する」

 熱放射の公式(E光のエネルギー=hvプランク定数×振動数)を考案した後、量子化説(動きの中間に無数の値が取れるとするニュートン力学に対し、量子の世界では不連続が値を取り、それは必ず整数となって中間に値は存在しないとした)を導き出した。

 

長岡半太郎 土星型原子モデルの提唱者

 「実験もやり、理論もやり、両方を知っていなければならん。理論のよし悪しは実験によって決する」

 ラザフォードのモデル発表に先立って土星型原子モデルを考えていた日本人。湯川秀樹の育ての親(大阪大学初代総長)。

 

マリー・キュリー ノーベル賞を2度受賞したラジウムの発見者

 「私は、ノーベルとともに、人類は新発見から、悪よりも善を多く得るだろう、と考える者のひとりです」

 夫と二人で、夫の勤務先の学校のボロボロの用具置場を借りて手製の器具で実験を続けて、ポロニウムラジウムを探し当て、3年9カ月かけてラジウムの結晶0.1gを取り出すことに成功。夫とノーベル物理学賞を受賞した後、ノーベル化学賞も受賞する。白血病で66歳の生涯を終える。

 

寺田寅彦 「天災は忘れた頃にやってくる」で知られる物理学者、随筆家

 「好きなもの いちご 珈琲 花 美人 懐手して宇宙見物」

 

リーゼ・マイトナー 「マイトニウム」の語源となった物理学者

 「誰もが若いとき、自分の人生がどうありたいか思い描くでしょう。でも私は次のような結論に達しました。人生が実り豊かなものであるならば、たとえそれが平坦なものでなくても構わないと」

 ウランの核分裂によって生まれる膨大なエネルギーを人類で初めて計算。

 1944年にノーベル賞を受賞したオットー・ハーンと長年にわたって共同研究を続けてきた彼女も受賞しておかしくないくらい研究に没頭した89年の生涯を送った。

 

アルベルト・アインシュタイン 20世紀最大の科学者

 「私たちの作り上げた科学は、まだまだ幼稚で原始的なものと言える。にもかかわらず、科学は私たちのもっているものの中で最も尊いものなのだ」

 もはや説明はいらないだろう。