偉人たちの挑戦4 化学編 東京電機大学編

2022年11月20日第1版第1刷発行

 

「質量保存の法則」を確立した化学の父 アントワーヌ・ラヴォワジエ

「私が従った厳しい規則は実験が示す以外のことで結論したり、事実の沈黙を補ったりしないことである」

 水は酸素と水素の化合物であることを発見し、化学に革命を起こしたラヴォワジエだが、政治の革命の前に断頭台の露と消えていった。

 

電池の発明者 アレッサンドロ・ボルタ

「無意味な栄光による落ち着かない生活よりも、静かで穏やかな日常生活のほうが私は好きだ」

 

化学だけでなく教育の分野でも貢献した ユストゥス・フォン・リービッヒ

「化学は他学科と対等に立ち、あるいはそれ以上の位置に立たねばならない」

 

元素の周期律を発見 ドミトリー・メンデレーエフ

「元素の体系は、単に教育的な意味のみならず、元素研究に新しい道を開くということで科学的にも意味がある」

 

核物理学の時代を切り開いた アーネスト・ラザフォード

「わたしはまだ自分の夢をかなえられると希望にあふれているが、そのためには多くの困難を克服しなければならない」

アルファ線ベータ線を発見。原子核(陽子と中性子)を発見。ノーベル化学賞を受賞。

 

ビタミンの発見者 鈴木梅太郎

「研究は全く根気が続かなくては駄目である。途中でやめては何にもならない」

米ぬかから抽出したオリザニンこそ今日ビタミンに与えられている定義そのものだった。鈴木の発表の1年後、オリザニンとほぼ同様の成分をもつ結晶を米ぬかから抽出し、これがビタミンと命名された。

 

ウランの核分裂を発見 オットー・ハーン

「科学は前進するものでその点には疑問の余地はありません」

ユダヤ人であるが故に、ウランの原子核中性子を照射して核分裂を引き起こす実験が成功する直前に現場から引き離されてしまったリーゼ。発見するまで実験を続けられたハーン。結果、ハーンのみにノーベル化学賞が授与された。がこの時のハーンとリーゼの会話について「悲しい会話」とハーンは表現したらしい。

 

日本で初めての女性理学博士 保井コノ

「名も求めず、地位も求めず、ただ自分の仕事が残ってゆけば、充分満足」

石炭は微生物によって生成されるという従来の説を覆し、植物の死骸などの水生堆積物からできていることを実証し47歳で東京帝大から理学博士の称号を授与された。

 

日本で2番目の女性理学博士 黒田チカ

「歩んできた一と筋の道が、『真、善、美』にかなったものであるのが何より嬉しいことです」

紅の構造解析に成功し理学博士に。玉ねぎの皮に含まれているケルセチンが高血圧の薬として効果があることがわり工業化に結びついた。

 

マリー・キュリーの娘で、ノーベル賞にも輝いた イレーヌ・ジョリオ=キュリー

「死ぬことは怖くないわ。こんなに夢中で送った人生だもの」

マリー・キュリー&ピエールは新しい元素ポロニウムを発見(マリーの祖国ポーランドにちなんでつけられた名前)し、ラジウムの結晶を取り出すことにも成功。ノーベル物理学賞、化学賞を受賞した母の姿を自分の目で見たイレーヌは自分も母と同じ道を進むことを決意し、フレデリックと力を合わせて人工放射性元素を取り出すことに成功。フランス発の女性閣僚にもなり、女性運動にも身を投じる。

 

人工放射能ラジオアイソトープ)の発見者 フレデリック・ジョリオ=キュリー

「私は科学と人間を信頼すると断言したいのです。人間は性懲りもなく過ちをくりかえすとはいえ、私はピエール・キュリーとともに、科学の新しい勝利はすべて、結局のところ、悪よりも善をもたらすことを確信するものです」

イレーヌ(キュリーの娘)と夫婦でノーベル化学賞を受賞。

 

プルトニウムの発見者 グレン・シーボーグ

「環境を破壊せずに大量の電力を起こす方法を見つけることは、重要な問題の一つとなっている」

マクミラン超ウラン元素の第1号「ネプツニウム」を発見(ネプツニウム海王星ネプチェーンにちなんでつけられた)、シーボーグはプルトニウム238を誕生させ,239の単独取り出しに成功(冥王星プルートにちなんでプルトニウムと名付けられた)。239は原子爆弾の材料となり得る元素だった。ドイツもイタリアも降伏し原子爆弾を使う必要がなくなったと思っていたシーボーグだったが、8月7日の新聞で警告なしに原爆を使うべきではないという我々のレポートが無視されたことを知った。