西田幾多郎と国家への問い 嘉戸一将

2007年2月10日初版第1刷発行

 

帯封「1941年の西田の田中宛書簡(新資料)から、全面戦争に突入する危機の時代に、西田の法あるいは国家の正統性をめぐる探求を跡付ける。グローバル化による国家の枠組みの流動化、憲法議論をひかえた日本の現状を考察するうえでの貴重な視座を提示。主権としての『絶対矛盾的自己同一』」

 

目次

はしがき

序  国家あるいは法の正統性

第1節 法・国家・定礎

第2節 国家あるいは法はどこにあるのか?

第3節 主権をめぐって

第4節 明治国家体制と主権の問題

第一章 主権という問題

第1節 西田幾多郎の田中秀央宛書簡

第2節 ジャン・ボダンの主権論

第3節 正統性に関する問いとしての「誰が?」をめぐって

第二章 「国家理由」という問題

第1節 なぜ「国家理由」か?

第2節 国家とは何か

第3節 国体論批判としての「国家理由の問題」

第三章 西田幾多郎と明治国家

第1節 統治権と国家の道義性

第2節 国体論:国家の道義性の反転

第3節 脱国体論としての主権論

第四章 「絶対矛盾的自己同一」と国家

第1節 「無」の「媒介者」をめぐる西田幾多郎三木清

第2節 西田幾多郎と主権論の道程

第3節 〈日本的なるもの

第4節 「絶対無」をめぐる西田幾多郎田辺元

第5節 法と宗教の結節点としての主権

むすび

あとがき

 

はしがき、に著者の問題意識は端的に示されている。

西田は書簡のなかで、法の根拠であり法を法として保証するものでもある主権の意義を、法を超越しかつ法に拘束されるという矛盾のうちに見出そうとしている。・・主権の核心に矛盾を読み込もうとするこの特殊な解釈は、西田の術後「絶対矛盾的自己同一」を想起させずにはおかず、この西田固有の観念との関係でその国家論を新たな相貌のもとに現出させるだけでなく、至高性を意味する主権が法によって拘束される、言い換えれば、法が主権にも優位するという理念が如何にして構想されるのかという好奇心を呼び起こす。

 

ただ、本書の内容・エッセンスをどうまとめたらいいのか、よくわからなかった。

抽象度が高すぎて、自分の言葉に置き換えて表現するまでに理解が追い付いていないことが原因であることは間違いない。