春燈《下》 宮尾登美子

1992年9月10日発行

 

高坂高女に通う中、絵を描くのが得意な鷹代と友だちになった。学校を卒業したら東京に出て絵を習いたいという。綾子は自分も東京で女学生を続けたいと甘い夢を語った。後に鷹代規子から、自分は絵を断念し東京に行かずに家を助けることにした、綾子が何の勉強をするかもわからず東京に行くのを夢見ているのは甘えていると手厳しい手紙が届くと、絶交の手紙を書く。鷹代は跳箱で胸を打ったのを放置したことが元で胸を痛めて半年入院する。見舞いに行くも会えずハガキを送る。出兵直前の兄に東京で勉強したいとの思いを打ち明けると、兄が父岩伍に話をしてくれることになる。しかし岩伍は綾子の東京行きは断じて認めず、照の連れ子の譲を大学に行かせるといい、兄と綾子は大反対した。東京空襲も次第に激しくなり、喜和も岩伍が反対する中で綾子の東京行きを承知できるはずもなく、綾子は断念せざるを得なかった。東京に行くのを断念した綾子は同級生の坂崎久美子と補習科に通うことにしたが、裁縫塾のようで花嫁学校のため面白くない日々が続く。そんな中、鷹代の容態が厳しいと聞き、最後のお見舞いに駆けつけるが、その直後、鷹代は17歳で亡くなる。綾子は家を出たい一心で代用教員になることを思い付き、以前、女子附属でお世話になった古林先生に手紙を出した。古林先生から早速電話をもらい、即日出向き、病欠教師の補充のために助教の辞令を受け取った。喜和に真っ先に報告し、岩伍はなぜこうも反抗するかというだけで止めはしなかった。担任の溝石先生があと3か月で卒業なのになぜ退学するのか、卒業すれば初等科訓導の免許がもらえるのだから卒業だけはしたら、と涙ながらに綾子に話をしてくれたが、綾子は予定通り家を出て吾川郡に向った。池川町に着くと、規子から聞いていた自然豊かな土地であることを思い出した。学校に着くと、女先生が出迎えた。規子の叔母辰子だった。辰子と生活をともにすることになり、翌日から教壇に立ち1年生を教えた。冬休みに入り家へ帰ると喜和に報告した。岩伍のいる家に帰ると綾子の部屋はきれいに片づけられていた。1月3日は当番なので学校に戻り、毎週実家に戻り小遣いをもらう生活を続けた。辰子宅から郵便局長宅を下宿先に移した。任期が切れそうになると、次の穴埋め先が運よく見つかり、規子が毎日通った母校狩山国民学校に移った。休みの日には規子の生家を訪ね、驚嘆の絶叫を挙げたくなるような雄大な風景を目にした。三好先生が綾子を嫁に貰いたいという話を郵便局長から聞かされ、岩伍に話をしてくれと頼んだ綾子だった。しかし家が釣り合わないと反対された局長は綾子に対して難しいと伝えたが、岩伍への反抗心が強い綾子はまとめてほしいと懇願する。綾子は三好先生の実家を局長と訪ね、三好先生の実家は清らかな田園の中にある構えの立派な農家だった。綾子は以前からこういうところに住みたかった。

 

なるほど、ここで春燈は了とし、続いて朱夏仁淀川と続くのですね。