外套・鼻 ゴーゴリ

1938年1月20日第1刷発行 2006年2月16日改版代1刷発行 2008年5月23日第4刷発行

 

表紙「ある日、鼻が顔から抜け出してひとり歩きを始めた…写実主義的筆致で描かれる奇妙きてれつなナンセンス譚『鼻』。運命と人に辱められる一人の貧しき下級官吏への限りなき憐憫の情に満ちた『外套』。ゴーゴリ(1809‐1852)の名翻訳者として知られる平井肇(1896‐1946)の訳文は、ゴーゴリの魅力を伝えてやまない。」

 

外套

九等官アカーキイ・アカーキエヴィッチ・バシチマシンは、書類の清書をするだけの仕事に大いなる喜びを感じ、くそ真面目に仕事をしていた。彼は衣服にこだわらず、まわりから半纏と揶揄されるほどに使い古された外套をいつも着ていたが、修繕してもらおうと店でそれを見せると、およそ修繕など出来ないと言われる程にボロボロになっていた。アカーキイは外套を新調しようと考えたが、80ルーブリも掛かるため、そんなお金はなかった。それでも、これまでコツコツと貯めてきたお金と予想外の賞与が支給されたことでなんとか目途がつき新品の外套を手に入れた。彼にとって、新しい外套を手に入れたことは大事件だった。同僚も彼が新調した外套を見て驚いて祝杯をあげる騒ぎになった。その帰り道、大切な外套を強奪される。取り戻そうとして、警察署長や有力者に頼んだが、どちらにも相手にされず、有力者は立場を鼻にかけて叱責した。彼はショックの余りに熱を出して倒れ、そのまま死んでしまった。アカーキイが亡くなった直後から、夜な夜な官吏の格好をした幽霊が現れて、道行く人から外套を追い剥ぐという噂が流れた。アカーキイを叱責した有力者はその後、この男がどうなったか部下に尋ねると、病気で死んだと知った。ある日、有力者は愛人の家に向かう道中、幽霊に出会う。有力者は外套を脱ぎ捨てて大慌てで立ち去った。以来、有力者は以前のような傲慢な言葉を発することがなくなり、幽霊も姿を現さなくなった。外套が彼の肩にぴったり合ったからか、アカーキイの幽霊は現れなくなった。

 巻末の訳者解題によると、ドストエフスキーは、「私たちはみんなゴーゴリの外套の中から出てきた」と言っていたらしい。

 プーシキンゴーゴリツルゲーネフドストエフスキートルストイなど、ロシア文学の巨頭たち。それぞれの作品が見事に際立っている。ウラジミール・ナボコフニコライ・ゴーゴリ』という本があるようので、今度手にしてみたい。

 

 ペテルブルクの理髪師イワン・ヤーコウレヴィッチが朝食にパンを食べようとすると、鼻が出て来た。その鼻は八等官コワリョーフのものであることに気付いた彼は、この鼻を河に捨てようとしたが、警官に見つかり連行されてしまった。コワリョーフは自分の顔に鼻がなくなっていることに気付くが、通りに出ると、礼服を着た自分の鼻が馬車から出てくるのを見かけた。目を離した隙に鼻に逃げられ、新聞社に広告を出そうとしたが、断られる。巡査が鼻をコワリョーフに持ってきたが、鼻を顔にあてがっても、くっつかない。ところが、ある日、突然彼の鼻は元通りに戻り、コワリョーフはいつも上機嫌で、美しい女を片っ端から追いかけ廻した。

 締めの文章は次のとおり。

何より奇怪で、何より不思議なのは、世の作者たちがこんなあられもない題材をよくも取りあげるということである。正直なところ、これはまったく不可解なことで、いわばちょうど…いや、どうしても、さっぱりわからない。第一こんなことを幾ら書いても、国家の利益には少しもならず、第二に…いや、第二にもやはり利益にはならない。まったく何が何だか、さっぱりわたしにはわからない…。

だが、まあ、それはそうとして、それもこれも、いや場合によってはそれ以上のことも、勿論、許すことが出来るとしても…実際、不合理というものはどこにもあり勝ちなことだからーだがそれにしても、よくよく考えて見ると、この事件全体には、実際、何かしらあるにはある。誰が何と言おうとも、こうした出来事は世の中にあり得るのだ-稀にではあるが、あることはあり得るのである。

 

シュールな世界観である。