秋の街 吉村昭

1992年4月10日発行

 

秋の街

 無期懲役刑の受刑者光岡は、仮釈放が許されることになった。仮釈放後は月1回は保護観察所を訪れなければならないが、16年ぶりに刑務所の外に出ることになるめ、それに備えて、刑務官の浦川は、光岡を連れて社会見学をさせた。保護観察所の場所を教え、信号機、市役所、駅の切符売り場を見学させてデパートに入った。光岡が刑務所で貯めた賞与金23万円が社会でどの程度を価値を持つのか教えるためでもあった。ラーメン屋で昼食を取り2人は帰所した。明後日が光岡の仮出所日だった。浦川は課長に、光岡が出所後に罪を犯して戻ってこないといいと呟いた。

 

帰郷

 寝台自動車会社の運転手笠原と佐川は末期癌の患者を乗せて病院から故郷に交代で運んだ。指示された家に長時間かけてたどり着き、担架に患者を移して蒲団を運び出して家の中に敷いた蒲団の上に患者を横たえた。初老の男と肥えた女とやせた女がいたが、患者からサインをもらって家を出た。女はお前の骨を埋める所はないと言っていた。佐川は“迷惑ですね、ああいう患者は…”と笠原に言った。笠原は黙っていた。

 

雲母の柵

 臨床検査技師学校を卒業した和夫は、同期の曾根英一や平岡典子が監察医務院に検査技師として就職することを決めていると教授から聞かされ、本来は希望していない先だったが、同じくそこに就職することを決めた。監察医務院では、監察医が変死体の検案や解剖を行うが、都内だけで検死件数は年6千件近くあり、死因不明の場合は約1時間要して解剖を行う。和夫は3か月の研修後、部長から“なれるんだ、なれれば気にならなくなる”と言われ、実際、半年ほど経つと遺体や死臭がほとんど気にならなくなった。最も早く技術をマスターしていた平岡がある日休職願を出し、その後自殺したことを知った。間近に死を経験していただけに生きていることと死との隔壁が他愛ないほど薄く、それを知っていたが故に死の領域に踏み入れていったのだろうか、と反問する和夫だった。

 

赤い眼

 実験動物研究所の無菌マウス飼育員和夫は、仕事柄、自らも完全無菌状態になって飼育室で仕事をする。ある日、マウスの様子がおかしく調べると肺炎にかかっていた。所員の血液検査をすると異常者は一人もいなかった。マウスはすべて廃棄された。

 

さそり座

 ある日、母を失った少年俊夫は、父に誘われてプラネタリウムを見に行った。冬の星座の代表はオリオン座、夏のチャンピョンはさそり座だと、男の声でナレーションが流れた。父と一緒に母の実家に旅に出たことを思い出した。プラネタリウムが終わって父と一緒に帰った。間もなく夏休みも終わりだった。

 

花曇り

 父を失った少年洋一は、母と一緒に父の葬式に参列した。洋一は、昨年の祖父の葬儀の様子を思い出していた。母は洋一に“パパは一緒に坐れぬ人”と言った。葬儀も例外でなかった。

 

船長泣く

 漂流をし始めた船には船長と船乗捨次しか生存していない。次々に船員たちは死んでいった。捨次は船長から航海日誌を書くよう命じられ、港を出発し、当初は漁獲も豊富だったこと、遭難後漂流し始め、食料4か月分はあったこと、貨物船が近づいたのに救出されなかったこと、3か月でアメリカ大陸を目指したこと、5か月経過してもアメリカ大陸につかないこと、商船が見えたがやはり救出されなかったこと、食料がつき魚を釣るようになったこと、やがて死者が出始め、遺体は船室に安置したこと、そして遂に船長と捨次の2人だけになってしまったことなどが書き記された。船長は誰が死んでも泣かなかった。甲板上の遺体は腐敗が早く白骨化するかミイラ化した。2人も腰が立たなくなり衰弱した。捨次は船長の遺書を読んだ。家族に宛てたものだった。船長は涙を流していた。船長も死んだ。5か月後、生存者のない船体が発見された。