深重の海《下》 津本陽

1993年4月20日発行

 

井原西鶴の『日本永代蔵』に日本十大分限者として描かれた和田鯨方の現棟梁覚悟は、三井組を金主にするため弥太夫と東京に出た。三井の頭取の前で和田家の歴史を語り、弥太夫は鯨漁を説明した。翌日、外国捕鯨船の事情を聞かされ効率よく捕鯨したことで寄り鯨の数が減ってきた訳が分かった。鯨が減ったのは、欧米やロシアが効率のよく鯨を根こそぎ捕獲したからだ。北海道での捕鯨も愚挙であると言われ融資は断られた。帰り道、弥太夫は太地の杉40万本が火事に遭ったと聞き、顔が真っ青になった。抹香鯨を網舟なしに勢子舟と持双舟で沖に追い込みをかけるか迷う弥太夫コレラが発生し太地へもいずれやってくるのではないかと思うと、弥太夫の背中を棟梁の代わりに金右衛門が押した。が一度目は失敗した。二度目は鉄砲で急所を撃つことにした。2度目の鯨が後日瀕死の状態で上がった。弥太夫はが脇壺を付くと手羽で弥太夫をはね飛ばした。弥太夫が死んだ。沖合いを継ぐ者はいなかった。太地の村にもコレラがやってきた。村民の死亡者が相次ぎ、許嫁のゆきもコレラに感染した。看病の甲斐なくゆきも死んだ。孫才次はアメリカに移住した。捕鯨船に乗った。研究して鯨銃を完成させた、太地では漁業権の営業主が次々と代わり、太地に戻った。銃で鯨を追った孫才次だったが、銃が破裂して銃身の尾栓が顔を砕いた。本書をめくると、「たとい罪業は深重なりとも必ず弥陀如来はすくいましますべし 蓮如上人」とあった。

 

深重の海」というタイトルは、確かに意味深長なタイトルだ。

自然に逆らって生きることなど、どだい人間には出来っこない。重い、暗いテーマだ。必死に生きている人たちが次々と死んでいく。それでも生きている人は希望を捨てずに生きて行く。そして自然は絶えずそこにある。