2021年11月20日発行
・とても読みやすくて面白い。1時間程度でスーと読めてしまう。古代の中国の歴史小説をメインに書いてこられた著者がいかにして青年時代を過ごしてきたのかがよくわかる。その中でも、漢字に対する鋭い感覚がどのようにして培われてきたのかに関する箇所は特に面白かった。いくつか例を挙げてみたい。
・「月」(つき)と「月」(にくづき)を分けて書いていますかとかつて藤原審璽氏から質問された。同じだと思っていた著者は度肝を抜かれたという。私の使うパソコンだと違いを表すことはできないのだが、「つき」の日本線は左からのびて右に届かない。すきまがある。「にくづき」にはすきまがない。甲骨文字に遡ると、そういうことらしい。
・著者は『菜根譚』より『呻吟語』の方が指示の仕方が厳切であり、長い間、座右に置いたという。小説家としてなんとか立った私は、実生活がかならず小説に反映されると想い、油断が小説の油断となる、と恐れたため、『呻吟語』によって自分をいましめつづけた、自分にひとかけらの文学的才能もないと自覚している私にとっては、油断のない努力しか頼るものがなかったと語る。
・ふと思い立って、ポオの「黄金虫」を暗記してみることにした。・・毎日数行おぼえた。・・これをはじめて原書の1ページを終え、2ページを終え、3ページのなかばにさしかかったとき、急に英語がランクになった。・・原書にむかう恐れが消えたのは、はじめてであった。この気分が、コナン・ドイルの小説をひらかせた。「思則得之」(しそくとくし)は孟子のことばで、思えば即ち之を得る、と訓む。わかろうとする努力は弭(や)めない。わからぬことでも一心不乱に考えていればわかるようになると狭義に解釈して、好きなことばとして書くことが多いという。