公孫龍 巻二 赤龍篇 宮城谷昌光

2022年4月20日発行

 

帯封「戦乱の世に現れた謎の英傑、その活躍が歴史を創る。中国・春秋戦国時代。王子の身分を捨てた公孫龍の機知は諸将にも知られるようになる。その中にあの楽毅もいた-。歴史小説の第一人者による、血潮燃ゆる第二部。」「周王朝末期、宮廷内の陰謀で命を狙われ姿を消した後、商人となった公孫龍。公子を助け強国趙の信頼を得たが、その後継者を巡る争いに巻き込まれる。君主となった恵文王と親しい公孫龍だったが、先代の父王(主父)は兄・安陽君の側についた。果たして主父の真の狙いは。一方、公孫龍が拠点とするもう一つの国・燕に、魏から楽毅が使者として到着した。公孫龍は、武将としての力量に注目し、楽毅を留まらせようとする。」

 

主父は、趙を南北に二分して南は今のまま趙王(恵文王。何)が治め、北は安陽君(章)を王に陟(のぼ)らせて支配させると考え始めた。公孫龍は、安陽君の輔相田不礼が安陽君を唆して南を襲わせるに違いなく、主父が何があったのか訝しがった。主父の沙丘行きは鹿狩りが目的だったが、その裏で公孫龍を暗殺することが真の狙いだった。そのつもりで安陽君に兵を連れてくるよう指示したが、安陽君は主父の指示を趙王を殺せと勘違いした。周蒙は安陽君の兵の数が多過ぎることを訝しがっていると、主父の命で趙王を迎えに来たという使者がやってきた。趙王でなく宰相の肥義が代わりに使者の馬車に乗るが、刺殺された。安陽君の千五百の兵が離宮に向かってきた。五百の兵で公孫龍離宮の趙王を守り、ギリギリのところで退路を確保し、趙王を船に乗せて避難するのを成功させ、趙王は邯鄲に戻った。主父は安陽君を見殺しにした。主父は餓死同然の状態で衰弱死した。公孫龍は塩の専売を認められ、趙と燕の和睦を頼まれた。また趙王に白海を貸し、白海に鍛えられた復生(発県)が公孫龍を護衛することになった。趙王を正しく輔佐してゆけるのは東武君しかいない。主父に連なる鵬由家や息子、更には主父の側近を活用できるよう公子成を説得できるのも東武君しかいないと判断した公孫龍東武君にそれらを託した。燕に戻った公孫龍の下に、魏から燕王への使者として楽毅が訪ねて来た。公孫龍楽毅を燕に留めようと奮闘し、楽毅を燕に留めることに奏功する。その後、公孫龍は、府尹(府の長官)より、黄金を臨淄の秋円に留めるよう斉行きを命じられた。斉行きの途中で公孫龍の命を狙う季巧と狛が隠れていた。二人は主父の元側近とそれに雇われた男だった。偶然現れた召公祥の子・子瑞が公孫龍を助けた。子瑞は孟嘗君に仕えていた。無事黄金を秋円に届けた公孫龍は斉の国力に目を見張った。公孫龍は次に薛の国に向かった。が孟嘗君は既に薛を出て魏に向かっていた。公孫龍は邯鄲に帰着し府尹に報告した。公孫龍を暗殺しようとした男達の黒幕の芷冗は公孫龍を陥れようと讒言すると、自らの罪が暴かれて罪人となった。