帰郷《上》 浅田次郎

2023年5月20日発行

 

第43回大佛次郎賞受賞作。

「帰郷」

終戦直後、新宿の路地裏で蹲っていた娼婦の綾子に、帰還兵の男が「どこかで、俺の話を聞いてくれないか」と声を掛けるところから始まる。女も、つい3か月前までは工場に動員されて働いていたが、敗戦後、生きるために体を売って生き永らえていた。男の名は古越庄一。庄屋の惣領息子で兵役などないと高を括り、22歳の時、女学校を出たばかりの糸子と結婚し、夏子が生まれ、所帯持ちだから、ますます軍隊に引っ張られることはないだろうと思っていたら、赤紙が来た。マリアナテニアン島に送られ、最初の3か月は兵隊、次の3か月は人間、その次の3か月は餓鬼、しまいの3か月はけだものだった。命からがら生き延びた庄一だったが、終戦後しばらくして、故郷の松本に帰ってきた。ところが、庄一はすでに死んだ者として扱われ、糸子は弟の清二と再婚し、幸せに暮らしていた。妻子と会いたかったが、義兄から静かに去ってほしいと言われて、プラットホームから新宿に戻ってきた。そして綾子に声を掛けたのだった。里が松本ではないが信州だと聞くと、突然、「俺と一緒に、生きてくれないか」と言った。綾子は悲しいんだか嬉しいんだか、よくわからなかったが、互いの心の奥深くに、帰るべきふるさとがあった。

「鉄の沈黙」は、砲台の修理をするために激戦地に送られた職人の話だ。砲台を今さら修理しようが、勝敗は既についており、間もなく敵機の爆撃でまもなく命を落とそうとしていた職人と僅かにそれまで生き残っていた兵士たちの話である。

「夜の遊園地」は、戦後、午後十時まで後楽園遊園地でバイトする学生の話だ。メガホンを持って野球観戦を終えた客をそのまま遊園地に呼び込むために呼び込みの仕事をしている。子どもを連れた父親が野球場を後にして遊園地に呼び込もうとして、2組の親子連れに声を掛け、後でジェットコースターやお化け屋敷で、この2組の親子連れに遭遇する。学生の父親は学生が小さい頃に戦争で死に、母親の実家で育てられた苦学生が、遊園地を嘘の世界ではなく、夢の世界なのだと思うに至り、後にも先にも1度だけ、母親に電話するという話である。