朱夏《一》 宮尾登美子

1996年5月10日発行

 

三好綾子は親から独立するために三好要と結婚し、要が満州に渡った後、長女美那を出産した。要が帰国して昭和20年に綾子は美那を連れて要と一緒に満州入りした。要の上司にあたる岡本先生も一緒だった。戦時下にあるため、要と離れて姑いちと綾子が2人で暮らす様子や、食糧難で苦労しながらも美那を出産する様子などが描かれている。もともと苦労知らずで育った綾子だったため、戦争中の暮らし自体、とても大変だったろうと思う。が、恐らくこの後、満州終戦を迎え、更に大変な中で生き延びなければならない綾子と比べれば、戦時下の大変さはおよそ比較にならないことなんだろうなあと想像する。ともあれ要、綾子、美那は、長旅を経て、目的地の飲馬河小学校に到着した。宿直室で竈で焚き付けて湯を沸かし飯を炊いた(第1章 出発)。

 もともと関東軍満州農業移民百万戸五百万人計画を20年かけて遂行する予定だった。昭和20年5月までに32万1千余名送り出された。綾子たち一団は小さな家に移り、そこで岡本先生宅と綾子宅が、宿直室には村田先生がとどまった。視線が届く限り赤茶けた土一色の土地だった。最初は水に苦労した。水の国から来た人間が惜しげもなく水を使うのを周囲は憎悪の目で見ていた。要たちの仕事は野良作業を手伝っている子供を学校に来させられるように親を説得する活動だった。白米だけはきちんと配給されたが冬の間は野菜はなく、来る日も来る日も卵かけご飯が続いた。水、紙、木のない生活は日本人にとっては大変だった。日本からの荷物が届くと綾子はほっとした。姉妹同然に育てられたつる子に会うのに風呂に入りたいと言い出し、綾子は異風俗の中で目立つ行動に出た。5月に漸く春を迎え百花繚乱の景色が美しかった。つる子の旦那は日本人の将校相手の東亜楼を経営しており、上から目線で教育者の要に仕事を辞めてこっちで働いたらどうかといい、要は席を立った。つる子の都会ずれした姿に落胆して飲馬河に戻ってきた綾子だったが、4月13日の誕生日を過ぎていつの間にか19歳になったと明るく要に話しかけ、要と声を併せて笑い合った(第2章 飲馬河)。