朱夏《二》 宮尾登美子

1996年5月10日発行

 

夏の日照時間は長い。緑も深い。その一方で召集がかからぬ満渡だと思っていたのに、39歳の男性に召集がかかり、いつ要に召集がかかるか知れず、綾子は強い不安に襲われた。高熱が続き、熱が下がると下痢が続いて、新京に移って綾子は花柳病科・泌尿器科に入院した。開拓団が移動するため戦時を感じさせた。綾子の病状は後に急性膀胱カタルだと分かり、性病と何の関わりもなかった。退院して飲馬河に戻る際に荷物を盗まれ現金を全て奪われてしまったが、綾子には飲馬河が平安郷に見えた。ソ連参戦の話が広まり満人の日本への態度が急変した。学校も突然休校となる。8月18日になって日本が無条件降伏したとの報が入るが、皆納得しなかった。負けたら地図上日本という国がなくなると教え込まれた恐怖は体内深く突き刺さっていた。男は戦って死に、女は自らの命を断つことにした。綾子も嫁入道具に忍ばせていた剃刀を絶えず手にしていざとなったら頸動脈を切る覚悟を決めて日々を送った(第2章 飲馬河(承前))。

 9月に入り、飲馬河から汽車で東の吉林に向かった綾子たちだった。暴民にいつ襲われるか分からない不安な日々を暮らす。倉庫に入れられ清水分団に受け入れられたと思っていたが、実際には営城子の難民収容所だった。飢餓状態が続き美那に飲ませる乳も出なくなっていた。岡本先生が青酸カリを白酒の中に入れて置いて来たと聞き、暴民だけでなく、大恩ある王一家やら誰が飲むか知れないのにそんな卑怯なことをした岡本先生に綾子は強い不満を抱くようになった。岡本先生は自分だけお代わりをしていることも不公平に感じた。綾子も発疹と高熱で悩まされ、乳呑児はここでは死んだ方がいいと皆思っていると綾子は思わざるを得なかった(第3章 逃走―営城子(一))。