左右を哲学する 清水将吾

2024年3月25日第1刷発行

 

帯封「永井均氏評─左右とは何か? 謎はただ解けばよいのではない。謎の真の意味を突き止めることこそが不可欠で、それが本書で実現されている! 当たり前の日常に隠された秘密を探れ!」「世界を揺るがす謎を探して」

表紙裏「日常の当たり前にひそむ神秘、それは言語に由来するのか、それとも〈生〉に驚きと活気を与える仕掛けなのか。ウィトゲンシュタインの思考装置を参照しながら、私たちが住み込んでいる空間認識の常識を揺さぶる。そこでは、今・ここに生きてあることの謎に触れる、豊かな可能性が見えてくる。」

 

目次

まえがき

第一部

 はじめに

1 向きと左右

  コラム なぜ鏡は左右を反転させるのか?

2 左右っていったい?

  コラム 左右反転眼鏡の実験

3 次元と左右

  コラム 「左右」の意味は言葉だけで伝えられるか?

4 身体の秘密

  コラム カントの思考実験

 おわりに

第二部 対話

 左右は経験的か、超越的か -谷口一平さんと-

非対称性の起源 -成田正人さんと-

 

カントは、宇宙空間に一つの手しか存在しなかった場合、その手は左手か右手か、という思考実験を行った。カントは、この場合、左手か右手かのいずれかでならねばならないと考えた。また絶対空間が三次元である根拠は、上下・前後・左右の3つの軸をもつ身体にあると考えた。

本書では、上下概念や前後概念と比較して、左右概念は特殊であると指摘する。上下や前後は物的な基準によって定めることができる、上とは人間の身体の足から頭への向きであり、下とは人間の身体の頭から足への向きである。前とは身体の後頭部から顔への向きであり、後ろとは身体の顔から後頭部への向きである。ところが左右は物的なものによって定まっていない。私たちが左右を理解できるのは、前後と上下により軸を固定されているからである。私たちは左右を分からせるためには相手の身体に自分の身体を重ね合わせる必要がある。上下や前後を伝えるためには重ね合わせる必要はない。

本書は、左右の議論だけをしている。こんなことを考え続ける人がいた、ということ自体が驚きだ。