人生はロングラン 私の履歴書 森光子

2009年4月8日第1刷

 

帯封「私のすべては、ここにあります 大正・昭和・平成を駈け抜けた大女優、初の一代記。『放浪記』を半世紀近く2000回演じ、なお意気軒昂。芸能史の空白を埋める貴重な証言も満載した待望の自叙伝ここに公開!」

 

1920年5月9日京都割烹旅館「国の家」に生まれ、「鞍馬天狗」(嵐寛寿郎)の姪として芸能界入り(本当は従妹)。森光子の芸名は嵐完寿郎の母がつけた。歌手になるために上京し、満州シンガポールを回った。戦後、大阪に帰って地盤を固めようと思い、日本一の女漫才師ミスワカナに可愛がられ、ワカナさんを題材にした『おもろい女』を上演することになった。この頃から漫才師でも歌手でもなく女優の道を目指し始めた。結核の療養を終える頃、テレビの草創期を迎え、関西の喜劇俳優としてまずは認められるようになった。梅田コマ劇場で菊田一夫先生と出会い、東京の芸術座の芝居に出ることに。下積み時代が長く、『放浪記』で主役の林芙美子役に抜擢されたのが41歳。芸術祭文部大臣賞を受賞。公演回数は2000回を超える。でんぐり返しは1858回までやり続けたが、平成20年1月に封印。40代後半で尋常性白斑病にかかり10年で体が真っ白に。70歳からヒンズースクワットを1日150回続け体力増強に努める。『時間ですよ』、『3時のあなた』、『渡る世間は鬼ばかり』ではお茶の間のお母さん役のイメージが定着。女優として初めて国民栄誉賞を受賞する。