2022年11月8日第1刷発行
帯封「“知ってるつもり”をひっくり返す! 哲学の大家による脳を揺さぶる論理的思考のレッスン!」「哲学にはいろいろな分野がありますが、そのひとつに形而上学があって、時間の哲学はその形而上学の一部とみなされます。形而上学とはなにかとか、時間の哲学がなぜ形而上学の一部とみなされるのかという一般的な問いかけは本書の守備範囲からはずし、『ときのながれ』という特定の形而上学的テーマとそれにまつわる時々のトピックをあつかうなかで、いろいろな哲学的考察や手法をあれこれ例示することによって、一般に哲学をするのがどういうことなのかを間接的につたえるのが本書の使命でした。-『おわりに』」
裏表紙「私たちが常日頃から経験し、わかったつもりになっている、『ときのながれ』なるものは、実はどこにも存在しない!『ゆるい関係説』、『カテゴリーミステイク』、『現在主義』など、キーフレーズを通して当たり前の認識を検証し、『カントの散歩』、『棚から無理数』、『みずみずしくない水』など、不思議で魅力的なメタファーを自在に操りながら、『時間』という限りなく身近でどこまでも深遠な概念について、読者が自分の頭で考えることをやさしく促す。哲学の大家が自らの実践を通して示す、知的刺激に満ち、あらゆる応用可能性にひらかれた、究極の論的思考マニュアル!」
・ニュートン風の「空間いれもの説」とライプニッツ風の「空間関係説」を対比させ、ライプニッツ風の空間関係説を時間に当てはめてみるとどうなるかという思考実験を行う。その上で空間関係の関係項が実際に存在しなくても存在可能ならば空間の存在を認めるというぐあいに関係説をふわっとゆるめる、というのと同じように時間のふわっと「ゆるい」関係説によればできごとがなにも起きなくてもできごとの生起可能性があれば時間は存在することが許される。時間が時計ではかれるのは事実だが、時計ではかれるのは時間であるというのは概念の分析として受け入れることはできない。
・現代物理学は時間と空間は同じ一つの全体の二つの側面であると考える現代物理学の一つの立場がある。1枚のコインの両面だという比喩で表現することもある。
・イギリスの哲学者ジョン・マクタガート・エリス・マクタガートは時間の存在を否定する有名な論証を提案した。これをさけてとおるわけにはいかない。
・オーストラリアの哲学者ヴィトゲンシュタインはゲームは定義不可能だが有意な単語として正しく理解する言葉できる。同じように「とき」概念を想起せずき「ときのながれ」を定義することは不可能である。「ときはながれる」はナンセンスである。
・経験と経験内容は区別される。同様にうごきと動きの経験も区別される。
・時間測定にはゼロでない世の最小単位―時間の量子-があるというアイデア。時間の量子を「クローノン」と呼ぶ。時間の量子化が成功するかは物理学の問題だが、時間を量子化した物理理論が物理学で真剣に検討されているという事実は哲学者の真剣な注意に値する。