砂野仁(川崎重工業社長) 経済人12

昭和55年11月4日1版1刷 昭和58年11月18日1版7刷

 

大江山仰ぐ故郷―仁の名は八犬伝から

②京都四中時代―寄宿舎生活で心身鍛錬

③鹿児島高農へ―早速薩摩琵琶を習う

④京大から川崎造船へ―職工掛が初仕事

⑤安全運転の功労で数々の表彰を受ける

⑥本社へ転勤―最年少で職工家長に昇格

⑦人生の転機―産業報国会の部長に就任

⑧工場建設―軍部から飛行機の増産要求

⑨無限の将来性秘めて川崎航空機が新発足

⑩社長就任―積極的な事業拡大が開花

⑪初代社長の志を継いで川崎三社の大合同

 

・私の人生哲学は、今日一日を自分の最善と信ずる道に向かって右顧左眄することなく前進すること、ただそれだけである。

明治32年9月15日京都生まれ。中学校を卒業後、鹿児島高等農林学校に進み、京都大学経済学部の選科に入った。卒業後、川崎造船所に入社し、職工掛主任、職工家長、労務課長を経て、戦争が始まった翌年、川崎航空機の総務部長に転出した。戦後、川崎産業株式会社に社名を変え、代表取締役、同取締役社長に49歳で就任した。川崎航空機が再発足し、副社長に就任。川重に戻って川崎重工業専務取締役に就任し、6代目社長に就任した。川重と川航と川崎車両の合併を実現した。(昭和44年11月川崎重工業会長。48年11月同相談役。54年6月30日死去)