私の古典詩選《上》 大岡信

2009年11月20日発行

 

・中学時代に国語の先生と一緒にリルケの手紙の輪読などをした寺子屋教室こそ、本当の教育ではなかったか。孤独とか死とか詩、体験という言葉は以前から見聞きしていた言葉だったが、それらが突然、全く異様な重さ、不透明さをもって立ちはだかるのを知った。日常見たり聞いたりしている言葉が、ある思想の文脈の中では、驚くべき不透明な存在になって立ちはだかり、また誘いかけてくることがあるのだ、という発見―これが思うに、私にとっての最初の文学的体験であった。そしてこの発見は、今なお、私にとって文学的体験の原初をなす、絶えず更新される発見であり続けている。

・風かよふ寝ざめの袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢 俊成卿女

 春の夜の夢の浮橋とだえして嶺にわかるる横雲の空 定家

・人麿は漢文学や古代歌謡に対する教養を最も見事に詩の中で燃焼させることができた。そういう成功した詩の場合、漢文学の教養は単なる装飾的効果に留まらぬ新鮮な対句的表現や鋭く立体的な表現を生む原動力になったし、古代歌謡から取ってきたと思われるはやしことばのリフレーンも極めて有効なリズムを生み出す役割を果たしている。人麿のそうした特質はとくに相聞歌に著しくみられるように思う。

・家持は日本における最初のサロン的文学環境をその周囲に作りあげた詩人として記憶されねばならない詩人だ。万葉時代の近代主義者「憶良」は最も先端的な知識人の一人として日本人が初めてぶつかった体系的な外来思想の仏教や儒教を吸収し、その結果作り出された彼の詩は老年や死に対する強い関心をうたうものとなった。大伴「旅人」は憶良に刺激されて外来の新思想を好んで吸収した。旅人の子が「家持」である。

古今集の四選者の筆頭・紀貫之の「貫之集」に並んででている次の歌にある「あはれてふこと」という発想は当時の流行の言い方だったらしい。

 あはれてふことに印はなけれども云はではえこそあらぬものなれ

 あはれてふことにあかねば世の中を涙にうかぶわが身なりけり

・私に菅原道真の詩の魅力を教えてくれた本は、岩波版「日本古典文学大系」の『菅家文草菅家後集』(川口久雄校注)である。