2007年11月20日発行
嘉隆は手始めに一益から織田家に海賊衆がついていることを天下に知らしめるべく海辺に海賊屋敷を砦として築城するよう命じられるとともに安宅船、関船、小早船の造船を願い出て、連日猛特訓を行った。信長は大河内攻めが持久戦となるため敵の糧道を断ち海上輸送を阻むために嘉隆を起用した。嘉隆は大淀城と松ヶ島城を攻め落とす約束をし、長鉄砲を活用して約束を果たす。信長から直々に志摩平定を命じられると、嘉隆は、まず地頭たちの盟主鳥羽主水父子を従えるために妻のお咲を側室にして鳥羽堅物の末娘しのぶを正室に迎え、信長に従うよう鳥羽家と嘉隆が連署した書状を地頭らに送り付けた。嘉隆の使者の首を斬った和田大学助を嘉隆は手始めに全滅し、婚儀に参列するか否かで敵と味方を峻別しようとした。遅参した仇の小浜景隆はしのぶの実姉を嫁としていたが、嘉隆から信長に従うよう求められると、志摩を捨てて逃げ出した。瀬戸内海に向かおうとする景隆を嘉隆は追いかけて完勝し、志摩の全地頭なちが嘉隆の軍門に降って志摩平定を成し遂げ、信長から侍大将の一人に加えられた。