白い画布 私の履歴書 加山又造

1992年12月17日1版1刷

 

目次

虚弱児

画家への一歩

ひもじい日々

転機

桜の木

年譜

 

昭和2年9月24日京都市生まれ。昭和15年京都市立美術工芸学校絵画科へ入学し、私は写生に夢中になった。東京美術学校に合格した。勤労動員で山口に移り、戦後京都に戻った。昭和21年に再び上京し、米駐留軍クラブに勤め、給金を京都の家に送った。昭和24年3月に東京美術学校を卒業。創造美術を結成された学校の師の山本丘人先生の美術展に出品し、2回目・3回目でいずれも入選を果たした。当時開催されていたマチス展と宗達光琳派特別展を見て現代に生きる美を自分の手でつくりたいと思うようになり、昭和20年代は新制作展で連続して賞を受け、養清堂の個展から東京画廊の個展開催へとつながり、昭和32年の第20回新制作展出品の「狼」の屏風で新制作協会会員に推挙された。横山操、石本正、私の3人の轟会が誕生し毎年1回開いた。多摩美術大学の教授、裸婦デッサン、銅板版画の勉強など新しい表現の可能性をさぐり続けている。裸婦の美しい線を求め、追い掛けて20年余。これからも無我夢中の時を送るのだろう。